良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
香時計

先日、名掛丁にある三瀧山不動尊にいってきた。こんな町の中の一角に細長く奥まっていて、その一番奥に本尊があり、さらには十二支の神々が鎮座していておもしろかった。この空間をものめづらしげに見ている間にも、大勢の方が参拝して、自分の干支のところで線香をあげ、真剣にお祈りしている姿に打たれた。
この不動尊は奥行きはあるが幅が異様に狭いためか、よけいに線香の匂いが強い感じがした。この線香の匂いにつられてか、帰りに不動尊の手前のお店で「お香」を買った。いろいろなお香の匂いをかぐことができ、私は「マウンテン・ブレス」と言うお香が一番気に入ったのでこれを買った。
ところが数日後、テレビで長町のあるお店を紹介する番組をやっていた。このお店では古い道具がいろいろあり、その中の一つに「香時計」というものがあった。なんと「お香」をたいて時間を表すと言う。ところどころに時刻の表示があり,まさしく時計なのだと言う。
お香は良い香りを出すだけでなく、一定の燃焼時間で進んでいくためこのような時計としての利用方法が古代から採用されてきたらしい。なぜなら原始のときから採用されてきた時計は「日時計」だがこれは欠点がある。
夜が計れないからだ。その点、香時計は夜でも計れるし便利である。ただ温度や湿度によって変化するから誤差は大きいだろう。だけど昔はそれでも十分だったんだろう。今のように忙しくないし。
実際、この香時計は今でも二月堂のお水取りなどで使われているようだ。
私は沖縄の首里城に行った時、やはり興味を覚えたのが「漏刻の門」である。漏刻すなわち水時計というものも城やお寺などでかつては使われていたようだ。飛鳥水落遺跡などが時計としての役割をしていたと聞く。沖縄の漏刻は今は無く、ただ名前だけの漏刻の門として残っているだけなのが惜しい。
漏刻はかなり大規模な設備でありそれなりに権威のあるところでしか使われなかっただろうと思われる。その点、香時計は手軽で庶民的だ。おおよその時間はわかるわけだから。
それ以外にもテレビではおもしろい時計を紹介していた。花時計があることも教えてくれた。朝6時に咲く花、7時に咲く花、8時に咲く花・・・・、夕方5時に咲く花、こういった違った時間に咲く花を並べておき、やはり時計にしていると言う。驚きだ。我々は機械式時計の進化した形である腕時計をし、さらに進化したクオーツ時計をし、さらには電波時計と言う精度がめちゃくちゃ良いものを発明し使用している。現代と言う一分一秒を忙しく仕事をしている我々としては、やはり精度の高い機械式時計、クオーツ時計、等が必要なのかもしれない。
しかしながら、その結果として時間に追いまくられ、時間に支配されている自分を感ずるときもある。
ここから逃れることはできないけれど、時間がゆったりとしていた大昔の人々は結構楽しかったんじゃないかと夢想することもある。例えば江戸時代などは24時間ではなく12刻で一日を刻んでいたようだ。
「黄昏時の 暮れ六つに 三越前で」 なんてゆったりしていておしゃれなんだろう。
香時計はそんなゆったりしてた古き良き日本の美意識にぴったりの小道具なのではないだろうか。

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【2008/05/09 22:18】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
聖徳太子

先日、ある地権者さんのところに夕方行ったらなにかのお祝いの食事会をしていた。
「斎藤さんも食べていけ。」と言われご馳走になった。お赤飯まであり、何のお祝い会なのかと聞くと、
市道の拡幅工事に伴い、この家の守り神が入っている社(やしろ)を移転することになった。そこで一旦神様を
数十年ぶりに出して、となりの仏間に飾ってあると言う。そしてこの神様を修復し、現在の位置よりも奥の部分に社を建て直し神様をまたお入れするのだという。
この久しぶりに守り神を社から出したことをお祝いして親戚一同を集めて食事会を開いたのだ。
私も隣の仏間に飾ってある守り神様を拝むことにした。すると驚くような美しい神様ではないか。しかも思っていたよりも大きい。1mはあるだろうか。色も青、緑、赤などが配色されていて美しいし、神様の目もきりりとしていて素晴らしい。手には蓮の花を持っているのだと言う。胸のところには菊の御紋があったので、「ところでこの神様は何ですか?」と聞いてみると、驚くべきことに「聖徳太子」なのだそうだ。
その後、ご馳走になりながらこの家の歴史を聞いてまたびっくり。ご先祖はもともと仙台市太白区の諏訪の辺りにいた武将だったそうだ。戦国時代の戦いに敗れ、この地に敗残兵として逃れてきたのだと言う。
諏訪のあたりには今でも「太子堂」と言う地名があるが、まさしくあのあたりなのかもしれない。
この太白区太子堂にはかつて聖徳太子のご神体を祭る祠があることから「太子堂」と言う地名が付いたと聞いているが、この家の守り神様である聖徳太子像と何らかのつながりがあるのかもしれない。
弘法大師をお祭りしているのは良く見かけるが、聖徳太子は始めてみた。聖徳太子信仰というものも根強く全国各地にあるのかもしれない。それほど聖徳太子とは偉大だったのだろう。
地権者さんがいうには、この神様は、病気を治し健康を授ける、子宝を授ける、など総じて幸福を授けるとの言い伝えである。そのためこの家の神様とはいえ、時々遠くからいろんな人が来て拝んでいくとのことだ。
すごいな、聖徳太子。聖徳太子と言えば、17条憲法や仏教の布教など偉大な功績を残したとは聞いているが、しかし一番は「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」という当時の超大国・中国・隋の独裁者に対等外交をしたことだろう。人々に幸福を授けるだけでなく、日本を属国扱いする中国の独裁者に挑戦状を叩きつけた勇気ある偉人ともいえよう。さらにはそのあまりに聡明で慈悲深いことから「観音菩薩」の生まれ変わりであると言う伝説もあるくらいだ。すごすぎる。
食事をご馳走になって仕事の用件を済ませてから、また聖徳太子様を拝んだ。この家の伝説を聞いてから見るとさらにひときわ美しく見えた。
今現在、もう一人の「観音菩薩の生まれ変わり」と言われているチベットの生き神様・ダライラマが、ある恐るべき国によって苦しめられている。チベットの仏教徒たちが迫害され暴力を受け、次々と殺されているのだ。
聖徳太子様の御神意が、日本だけでなく同じ仏教の独立国・チベットの人たちにも幸福を授けてくれることを祈ろうではないか。聖徳太子像を眺めながら。

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【2008/04/24 23:02】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
無躾(むしつけ)と減反

先日農家の地権者さんから、無躾(むしつけ)という驚くべき言葉を聞いた。今日はこの言葉を紹介することにしよう。
無躾(むしつけ)とは、しつけが無い、という意味だが、農家の間では次のような場合に良く使ったという。
昔の田んぼは、今の土地改良が終わったようなまっすぐな田んぼではなかった。形が悪く不整合であった。そういう田んぼに手植で苗を植えていた。不整合な田んぼのため、端っこのほうに植えるのは面倒である。しかしそれでも農家のかたがたは、丁寧に端っこのほうにも苗を一個一個余すところ無く植えていった。
これこそが農家の意地でありプライドであった。
ところがある農家は、田んぼの端っこのほうに植えるのは、生産性も悪いし面倒くさいので、そこには植えない人もいた。
その地域ではこういう面倒くさがりの農家の人を「無躾(むしつけ)」と呼んで馬鹿にしたそうだ。
百姓としてのプライドのある人たちは、空かさないで土地に満遍なく植えることを最良とした。そうでない人に対しては無躾(むしつけ)としてさげすんだのだ。
どうしてこういう考えが定着していたのかというと、米が取れなくなることの恐怖というものを、代々の教えで体に染み付いているのではないかということだ。
かつては田んぼ一枚(300坪)からは一石(約150kg)=米2俵半しか取れなかった。(戦国時代)
これらが品種改良などの努力によってたくさん取れるようになったがそれでも天候に左右される。
戦後の食料不足の時代は、町の人たちが農家の家に殺到して米を買い求めた。しかしそれでも買えずに餓死する人もいたという。
こういった食料の無くなる時が必ず来るということを、農家の人たちは本能で理解しているようだ。その結果が土地を余らせて植える不届き者を無躾(むしつけ)と呼んで罵倒したのだという。

ところがこの農家の人たちが最も忌み嫌う無躾(むしつけ)を政府が法律で決めて行っているという。それこそが減反政策である。生産調整という名の無躾(むしつけ)である。田んぼに苗を植えずにほったらかしにしたりすると協力金がもらえるという。その農家のおじさんはこの制度が始まった昭和40年代、立場上、他の農家のかたがたを口説いて政府の方針である減反政策を伝えるべく奔走したという。あるところではこっぴどくしかられた。
今このおじさんは、究極の無躾である減反政策を激しく批判する。同時に農地法も時代に合わないのではないかと批判する。そして都市計画法の市街化調整区域などの設定によって、「土地も売れない、かといって米も作れない。農家はどうしたらいいんだ。」となげく。そしておじさんは農家が滅びたら国も滅びることになるんだぞ。いつまでも中国や他の外国から食糧の輸入ばかりをしていたら日本はだめになってしまう。と断言していた。
全くそのとおりかもしれない。農家の人たちは本能的に食料がなくなる日が必ず来ることを本能的に知っている。その伝統的な教えの一つが「無躾(むしつけ)をしてはならない」という教えなのかもしれない。

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【2008/04/21 10:58】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
満鉄・建築課の偉人

先日、ある地権者さんのところでお茶をご馳走になりながらさまざまな話しをしながら、なぜか満州・大連の話になった。するとそのおばあさんは、「私のおじさんは、オカダイジという人で、有名な建築家だったそうです。あの東洋一の大連ヤマトホテルを設計した人なんです。」というのです。
私は一瞬「え??」と思いながら話を聞いていた。なぜかといえば、私の浅い知識では、大連ヤマトホテルは、それこそ満鉄の総力を挙げた傑作であり、設計したのは、太田毅や小野木孝治と聞いていたからだ。
その戦前における日本の傑作中の傑作である大連ヤマトホテルが「オカダイジ」という建築家が設計したというではないか。それはそれとして「ふーん。」と聞いて記憶にとどめていた。
ところが、私の持っている膨大な、しかも全く読んでいない、いわゆる「つん読」の書籍類の中に「海を渡った日本人建築家」という本を見つけた。これを読んでいて驚いた。建築家・岡 大路のことが書いてあったのだ。
しかも岡大路とはとてもすごい建築家だったようで、当時日本の建築家集団で最も活躍したのが、満鉄・建築課だがその、満鉄で若干34歳で実質的な総監督ともいえる「課長」職になっている。
この大抜擢は当時相当な評判になったらしく、建築家・小野木孝治を上回る活躍を期待されそれに答えた。
(最終的には、満州国の建築局長まで上り詰めたようだ。)

満鉄・建築課の建築家集団が設計したものの一部を羅列すると、撫順炭鉱事務所、長春ヤマトホテル、奉天小学校、旅順ヤマトホテル、奉天医院、奉天駅、満鉄大連埠頭事務所、・・・
満鉄とは単なる鉄道会社ではなく、病院経営、学校経営、炭鉱経営、製鉄、街づくり、とまるで一つの国のような役割を担っていたすごい集団なのだ。その満鉄のありとあらゆる建築物の設計をしたのが、満鉄・建築課の人たちである。
満鉄・建築課はさらに満鉄の仕事だけでなく、満州であらゆる受注をし貢献をした。しかも潤沢な資金をバックにさらには日本人の気概も見せようとがんばったため、とてつもなく素晴らしい建築群を設計した。
その頂点に「大連ヤマトホテル」があると思う。それ以外に写真を見て感動したのは、大連埠頭事務所、奉天医院本館、奉天小学校も気品が漂う傑作だ。
設計図も少しだけ載っていたが、大連ヤマトホテルはルネサンス風の建物というらしい。素人目でとにかく美しい。おばあさんのいうように、この満鉄・建築課の設計者集団が設計した美しい大連ヤマトホテルには、岡大路も参画していたのだろう。満鉄・建築課の偉人たちの誇れる秀作だと思う。
この大連ヤマトホテルは現在も建っているが、中国共産党が迎賓館か何かに使っているらしい。
美しくない赤い旗とともに。

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【2008/04/11 23:27】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
万朶の桜と旅立ち
先日東北理工専門学校の卒業式に来賓として行ってきた。測量の専門学校ではあるが、今日の測量や建設不況に伴って卒業生の数も我々のときの10分の1にまで激減しているのが少しさびしかった。しかし少ない人数ではあろうが、卒業生はそれぞれの思いを秘め、旅立とうとしていることには変わりないはずだ。

この季節、卒業式や入学式、入社、転勤、退社と別れと出会いが交錯する、極めて日本的な情緒に彩られる。去るものがあれば、新しい人との出会いがある。散り際のさみしさと希望に満ち溢れた喜びがクロスするのだ。しかも丁度この時期、日本では桜が咲く。この桜は一斉に咲き、見事なまでの鮮やかさを示す。まさしく春爛漫という感じであろうか。しかし我々日本人は、咲き誇る美しさ以上に、散り際の桜に「美」を見出した。
万葉集や古今和歌集を持ち出すまでもなく膨大な数の「桜」を歌った和歌に日本人の美意識を感じる。

さくら花 散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける  有名な紀貫之の歌である。

こういう和歌だけでなく、歌謡曲でも「桜」を歌った歌は多い。こぶくろや森山直太郎の歌に。やはり日本人にとって桜は特別なこだわりを持つ花なんだと思う。
しかし結構びっくりした表現にであったことがある。
父親は手帳にびっしりと歌を手書きで書いている。ほとんどが軍歌なのだがその中で「歩兵の本領」という歌がある。この歌が大好きで音程はともかくとしていい感じで歌うのだ。いつのまにか私も好きになった歌だ。
「万朶の桜か 襟の色 花は吉野に 嵐吹く」
この万朶(ばんだ)という表現がおもしろい。万朶(ばんだ)とは無数の花房がまとまって咲いていることをいう。
すなわち満開の桜が咲き誇っている、明るく華やいだ感じのことをいうらしいのだ。

先日、私の娘も新たな旅立ちをした。その旅立ちの日に一緒にお赤飯を食べながらランチをした。
仙台はまだ桜は咲いていない。しかし、お赤飯のピンクの色と「行って来るよう。」といいながらの満面の笑みに、万朶の桜を見てしまったのだ。

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【2008/03/29 17:07】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp