先日農家の地権者さんから、無躾(むしつけ)という驚くべき言葉を聞いた。今日はこの言葉を紹介することにしよう。 無躾(むしつけ)とは、しつけが無い、という意味だが、農家の間では次のような場合に良く使ったという。 昔の田んぼは、今の土地改良が終わったようなまっすぐな田んぼではなかった。形が悪く不整合であった。そういう田んぼに手植で苗を植えていた。不整合な田んぼのため、端っこのほうに植えるのは面倒である。しかしそれでも農家のかたがたは、丁寧に端っこのほうにも苗を一個一個余すところ無く植えていった。 これこそが農家の意地でありプライドであった。 ところがある農家は、田んぼの端っこのほうに植えるのは、生産性も悪いし面倒くさいので、そこには植えない人もいた。 その地域ではこういう面倒くさがりの農家の人を「無躾(むしつけ)」と呼んで馬鹿にしたそうだ。 百姓としてのプライドのある人たちは、空かさないで土地に満遍なく植えることを最良とした。そうでない人に対しては無躾(むしつけ)としてさげすんだのだ。 どうしてこういう考えが定着していたのかというと、米が取れなくなることの恐怖というものを、代々の教えで体に染み付いているのではないかということだ。 かつては田んぼ一枚(300坪)からは一石(約150kg)=米2俵半しか取れなかった。(戦国時代) これらが品種改良などの努力によってたくさん取れるようになったがそれでも天候に左右される。 戦後の食料不足の時代は、町の人たちが農家の家に殺到して米を買い求めた。しかしそれでも買えずに餓死する人もいたという。 こういった食料の無くなる時が必ず来るということを、農家の人たちは本能で理解しているようだ。その結果が土地を余らせて植える不届き者を無躾(むしつけ)と呼んで罵倒したのだという。
ところがこの農家の人たちが最も忌み嫌う無躾(むしつけ)を政府が法律で決めて行っているという。それこそが減反政策である。生産調整という名の無躾(むしつけ)である。田んぼに苗を植えずにほったらかしにしたりすると協力金がもらえるという。その農家のおじさんはこの制度が始まった昭和40年代、立場上、他の農家のかたがたを口説いて政府の方針である減反政策を伝えるべく奔走したという。あるところではこっぴどくしかられた。 今このおじさんは、究極の無躾である減反政策を激しく批判する。同時に農地法も時代に合わないのではないかと批判する。そして都市計画法の市街化調整区域などの設定によって、「土地も売れない、かといって米も作れない。農家はどうしたらいいんだ。」となげく。そしておじさんは農家が滅びたら国も滅びることになるんだぞ。いつまでも中国や他の外国から食糧の輸入ばかりをしていたら日本はだめになってしまう。と断言していた。 全くそのとおりかもしれない。農家の人たちは本能的に食料がなくなる日が必ず来ることを本能的に知っている。その伝統的な教えの一つが「無躾(むしつけ)をしてはならない」という教えなのかもしれない。
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