先日、ある地権者さんのところでお茶をご馳走になりながらさまざまな話しをしながら、なぜか満州・大連の話になった。するとそのおばあさんは、「私のおじさんは、オカダイジという人で、有名な建築家だったそうです。あの東洋一の大連ヤマトホテルを設計した人なんです。」というのです。 私は一瞬「え??」と思いながら話を聞いていた。なぜかといえば、私の浅い知識では、大連ヤマトホテルは、それこそ満鉄の総力を挙げた傑作であり、設計したのは、太田毅や小野木孝治と聞いていたからだ。 その戦前における日本の傑作中の傑作である大連ヤマトホテルが「オカダイジ」という建築家が設計したというではないか。それはそれとして「ふーん。」と聞いて記憶にとどめていた。 ところが、私の持っている膨大な、しかも全く読んでいない、いわゆる「つん読」の書籍類の中に「海を渡った日本人建築家」という本を見つけた。これを読んでいて驚いた。建築家・岡 大路のことが書いてあったのだ。 しかも岡大路とはとてもすごい建築家だったようで、当時日本の建築家集団で最も活躍したのが、満鉄・建築課だがその、満鉄で若干34歳で実質的な総監督ともいえる「課長」職になっている。 この大抜擢は当時相当な評判になったらしく、建築家・小野木孝治を上回る活躍を期待されそれに答えた。 (最終的には、満州国の建築局長まで上り詰めたようだ。)
満鉄・建築課の建築家集団が設計したものの一部を羅列すると、撫順炭鉱事務所、長春ヤマトホテル、奉天小学校、旅順ヤマトホテル、奉天医院、奉天駅、満鉄大連埠頭事務所、・・・ 満鉄とは単なる鉄道会社ではなく、病院経営、学校経営、炭鉱経営、製鉄、街づくり、とまるで一つの国のような役割を担っていたすごい集団なのだ。その満鉄のありとあらゆる建築物の設計をしたのが、満鉄・建築課の人たちである。 満鉄・建築課はさらに満鉄の仕事だけでなく、満州であらゆる受注をし貢献をした。しかも潤沢な資金をバックにさらには日本人の気概も見せようとがんばったため、とてつもなく素晴らしい建築群を設計した。 その頂点に「大連ヤマトホテル」があると思う。それ以外に写真を見て感動したのは、大連埠頭事務所、奉天医院本館、奉天小学校も気品が漂う傑作だ。 設計図も少しだけ載っていたが、大連ヤマトホテルはルネサンス風の建物というらしい。素人目でとにかく美しい。おばあさんのいうように、この満鉄・建築課の設計者集団が設計した美しい大連ヤマトホテルには、岡大路も参画していたのだろう。満鉄・建築課の偉人たちの誇れる秀作だと思う。 この大連ヤマトホテルは現在も建っているが、中国共産党が迎賓館か何かに使っているらしい。 美しくない赤い旗とともに。
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