| 万朶の桜と旅立ち |
先日東北理工専門学校の卒業式に来賓として行ってきた。測量の専門学校ではあるが、今日の測量や建設不況に伴って卒業生の数も我々のときの10分の1にまで激減しているのが少しさびしかった。しかし少ない人数ではあろうが、卒業生はそれぞれの思いを秘め、旅立とうとしていることには変わりないはずだ。
この季節、卒業式や入学式、入社、転勤、退社と別れと出会いが交錯する、極めて日本的な情緒に彩られる。去るものがあれば、新しい人との出会いがある。散り際のさみしさと希望に満ち溢れた喜びがクロスするのだ。しかも丁度この時期、日本では桜が咲く。この桜は一斉に咲き、見事なまでの鮮やかさを示す。まさしく春爛漫という感じであろうか。しかし我々日本人は、咲き誇る美しさ以上に、散り際の桜に「美」を見出した。 万葉集や古今和歌集を持ち出すまでもなく膨大な数の「桜」を歌った和歌に日本人の美意識を感じる。
さくら花 散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける 有名な紀貫之の歌である。
こういう和歌だけでなく、歌謡曲でも「桜」を歌った歌は多い。こぶくろや森山直太郎の歌に。やはり日本人にとって桜は特別なこだわりを持つ花なんだと思う。 しかし結構びっくりした表現にであったことがある。 父親は手帳にびっしりと歌を手書きで書いている。ほとんどが軍歌なのだがその中で「歩兵の本領」という歌がある。この歌が大好きで音程はともかくとしていい感じで歌うのだ。いつのまにか私も好きになった歌だ。 「万朶の桜か 襟の色 花は吉野に 嵐吹く」 この万朶(ばんだ)という表現がおもしろい。万朶(ばんだ)とは無数の花房がまとまって咲いていることをいう。 すなわち満開の桜が咲き誇っている、明るく華やいだ感じのことをいうらしいのだ。
先日、私の娘も新たな旅立ちをした。その旅立ちの日に一緒にお赤飯を食べながらランチをした。 仙台はまだ桜は咲いていない。しかし、お赤飯のピンクの色と「行って来るよう。」といいながらの満面の笑みに、万朶の桜を見てしまったのだ。
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