| 三陸海岸 |
ある地権者さんから、三陸海岸のある町に住んでいたときの、リアルで印象的な話を聞いた。今日はその話しを紹介することにしよう。 その地権者さんは、若い時、赴任先の陸前高田市に住んでいたという。ちょうど昭和34年か35年のころだったという。そのときチリ地震津波が襲ってきたのだ。避難命令が出され、多くの町民は高台へ逃げた。昔から三陸海岸には「てんでんこににげろ」という言い伝えがある。てんでんこににげろとは、家族ばらばらに逃げろという意味で、津波はあらゆる方向から町を襲い、人々を飲みこんでしまうことから、家族が全員死んでしまわないようにこういう言い伝えがあるという。それほど恐ろしいものらしい。 地権者さんたちは早い段階から逃げることに成功し、高台に到達していた。そこで見たものがこの世の地獄のような有様だったという。津波が沖の方からだんだんやってきたのだが、それが大きな滝のような感じであり、その滝の上端部分の高さが丁度自分がいる高台の高さぐらいあったというのだ。 しかも逃げ遅れた人々が次々と津波に飲み込まれていく様を目撃してしまったのだ。あちこちから悲鳴と泣き叫ぶ声が聞こえたという。地権者さんは今でもこのときの情景をまるで昨日見てきたように話すのだ。 滝のような津波か。すごいな。
三陸海岸は昔から津波が襲ってきては人々を苦しめてきた。その中でも一番巨大な津波は、やはり明治29年の「三陸大津波」であろう。この津波は春の日曜日で、しかも大安の日のお昼頃に襲ってきた。大安だったため結婚式が三陸海岸のあちこちで行われてきた。恐るべき津波の絵を見たことがあるが、新郎新婦やらご媒酌人様まで紋付はかま姿や、和服のままで津波に飲み込まれている様を描いていた。 このときの津波の最高到達点は38mだという。今も三陸のある町の標高30mの地点に津波が運んできた巨大な岩石が突き刺さっていると聞く。また高台にある家では物干し竿にばらばらとワカメが天からふってきたという.。しかしこの恐るべき「三陸大津波」のとき大活躍した看護婦さんのことが記録されていて読んだことがある。後に世界で最初にナイチンゲール記章を受賞した荻原タケである。彼女の日記が淡々と津波後の地獄を描いている。荻原は日赤の看護婦さんとして宮古まで来た。まだ山田線が無かったころだ。陸軍の兵士とともに盛岡からはなんと北上山地を歩いて越えたのだ。わらじをはき脚絆をまき、盛岡から宮古まで4日間かけて踏破したのだという。そして宮古では多くの患者さんを助け、この活躍を聞いた皇后陛下は、任務完了後の萩原タケに格別に恩賞を与えた。 このときから陸軍と日赤はある意味表裏一体に、軍事作戦だけでなく津波や地震、台風、水害など国民を苦しめた災害時に大活躍することになる。その先鞭をつけたのが三陸大津波といえる。
三陸海岸は美しい。しかしその美しさとは対極にある凶暴な自然災害に襲われ続けてきた歴史があることも確かだが。
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