昨日の河北新報に、13年前の1月17日の阪神大震災の慰霊祭のことが写真とともに掲載されていた。タイトルは「語り継ぐべきもの」と題していたが内容を読んで若干違和感をぬぐえなかった。というのは、語り継ぐべきものの内容とは、あの悲惨な震災のことを忘れまい。というだけになっていたからだ。 こんなもんだろうか。もう一度13年前の1月17日を振り返って「語り継ぐべきもの」は何かを考えてみたい。 あの日神戸の大震災後の映像をテレビは映し出していた。それを見ただけで普通の国民は異常事態を感じ取っていたはずだ。午前6時ごろのことである。 その後知ったことだが時系列であの日の出来事を追いかけていきたい。 アメリカではクリントン大統領が地震直後に事態を把握する。CNNも速報を打つ。クリントン大統領は直ちに空母一隻を提供することを言明。(その後日本の反軍思想の総理大臣村山は空母の提供を断る。) スイス陸軍も救助犬などの提供を言明。(これにも村山は提供を断る。) さらにカナダ、オーストラリアなど各国の軍隊が救援を申し出るも、村山はすべて断る。 日本の自衛隊も偵察機を上空に飛ばし事態を把握すると同時に、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊とも派遣の準備をし命令を待つだけになっていた。 さらに民間とはいえこの異常事態を察知したローソン・ダイエー・セブンイレブンなどがヘリコプターを即座に準備に大量のおにぎりなどの食料を積載し神戸を目指して飛ぶ準備をしていた。 警察庁も6時台にはすでに「地震災害対策室」を設置し機動隊の出撃命令を直ちに発した。 一方、史上最低の総理大臣村山は、特別対策室を設置するでもなく、誰かに何かを命令するでもなく、大嫌いな自衛隊にはもちろん出動命令を出すこともせず、普通に朝食を食べ、予定どうりの会議をこなそうとしていた。 後日記者団になぜ自衛隊の出動命令を出すのが遅れたんですか?と厳しい質問が飛んだときも村山は「何しろはじめてのことじゃったからのう」と人ごとのようなコメントを発していた。 地震後に火災が発生し瓦礫に埋まったままで生き延びていた人たちはひたすら救援を待っていた。事態は深刻だったが反軍思想の村山は相変わらず自衛隊の投入をためらっていた。さすがに仲間の神戸の議員からも村山に電話が入り「早く自衛隊を投入してください。」との要請があったが、村山は「○○はおおげさなやつだなあ。」と相変わらず事態の深刻さを理解せずにいた。午後になると全国の国民から自衛隊はまだか?との問い合わせが官邸に着たが、村山は無視する。そのとき村山は環境問題の会議をしていた。 海上自衛隊でも早朝から準備は整っていた。例えば呉では補給艦ゆらが大量の水や食料、毛布などを満載していたがなかなか出撃命令が来ないので、一計を考えた。訓練という目的で出動した。もちろん目的地は神戸。 さすがに夕方になると、最低の総理村山であっても尋常でない事態を知るようになる。すでに中心部は猛火に包まれなすすべをなくしていた。瓦礫に埋まったまま救援を待っていた人たちもこの猛火で絶命したであろう。 やっと航空自衛隊への出撃命令が下されたのが夜の9時であった。こうして国民の生命を守ることよりもイデオロギーを優先した最低の総理大臣村山によって、なんと7000名の命が失われていった。「語り継ぐべきもの」は何かと問われたら、この大震災のときいち早く自衛隊を投入せず大被害をもたらした総理大臣の無為無策と、救援を待ちながら絶望的な気持ちのまま焼け死んでいった人たちの非業の死を語り継がなければならないと私は考えている。 私の本業のホームページ 不動産法コンサル・サロン http://www.estate-consultant.jp
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