先日、友人の五島(ごしま)さんと昼食をとった。その時の話の中でとても驚くべきことがあったので、今日はその話をすることにしよう。
五島家の先祖は、なんと長崎の五島(ごとう)列島らしい。なんでも、豊臣秀吉が行った朝鮮征伐、すなわち文禄の役、慶長の役のとき、この五島列島からも豊臣軍を手助けするために大勢の兵士が出陣したという。豊臣軍と言っても、全国の配下武将が、約20万人の軍勢を引き連れて朝鮮に行ったわけだが、当然その中には、仙台からも伊達政宗の軍勢が参戦していた。この伊達軍と五島列島の数百人の兵士たちがどこかで接点を持ったらしい。 実際、五島列島の兵士たちは一番隊の先鋒を勤め、果敢な戦いをし、素晴らしい成果を挙げたという。そのため豊臣秀吉はもちろんのこと、一緒に闘った伊達政宗の目にも彼らの働き振りが目にとまったようだ。慶長の役が終わってからどういういきさつかはわからないが、素晴らしい戦いをした、五島列島の兵士たちの一部が、伊達政宗の軍勢とともに、一緒に仙台に来たらしい。連れて来られたというのか、何なのかよくわからないが。 それからずうっと仙台に、五島列島の名前から、姓をもらい、五島(ごしま)と名乗り仙台に住み着いたという。当時五島列島で漁民か農民をしていた者が、姓をもらい仙台藩の城下に住むということは、相当評価が高かった者だけに与えられた特典だと考えられる。 代々の家系図があるらしく、ある時代は、五島、ある時代は五嶋と若干変化が見られるが、五島列島出身であることは確実だという。 仙台と長崎の五島列島が関係があったことに驚いたが、今まで五島さんとは20年以上の付き合いなのに、こういうことを聞いたのは初めてだ。
しかし、五島列島と仙台が関係するのはこれだけではない。隠れキリシタンで有名な「後藤 寿庵」がいる。彼は岩手県の藤沢町に生まれたが、伊達政宗にその才能を高く評価され重用された。後藤の本名は、もともと岩渕又四郎である。ある時期に五島列島に住んでおり、ここでキリスト教に出会い、五島列島から、名前をとり、少しもじり「後藤」に変えたのだ。下の名前も変えたが。 仙台に戻ってからの後藤寿庵は伊達政宗の下で大活躍したが時代の変化が押し寄せていた。キリシタン弾圧である。その後、後藤は隠れながら、ほとんどの隠れキリシタンは見つかり獄につながれ悲惨な目にあったが後藤は逃げのびている。ただし亡骸もわからないらしいが。 仙台にいる後藤さんが、みんな五島列島と関係しているわけではないだろうが、五島列島・・ 仙台・・五島さん・・後藤さん・・ここにいくつかのつながる糸があることは確かなようだ。
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