先日、若林区荒井土地区画整理地を通った。久しぶりに通ると、マンションは立っているし、地下鉄東西線の新駅付近を中心に住宅や店舗の建設ラッシュになっていた。荒井は昔は荒井村であり昭和初期の大合併で仙台に吸収合併された地域と聞いている。 この現在は急速な都市化が進んでいる荒井ではあるが、私は以前、荒井地区の原風景とも言うべき、江戸時代の「荒井村絵図」を見る機会を得た。今日はこの話を書くことにしよう。
その絵図はとてもおもしろく、絵図の外周の部分に距離と角度が入っている。例えばA点からB点にかけては、「辰 壱分二厘五毛 六間三尺」とある。これは辰すなわち北方向を0度とするならば、方位角120度を意味する。プラス細かい角度、壱分二厘五毛を足した角度がAからBへの角度を意味するのだろう。AからBまでの距離は、6間三尺すなわち約11.7m進んだ位置を意味している。こういった数字が外周に関してはびっしりと書き込まれている。 驚いた。かなり細かく測量していたことが伺える。外周の形は現在の外周の形とおおよそあっているのかもしれない。だとするとどうやって累積する誤差処理をしたのだろう。気になるところだ。 驚くべきはこれだけではない。土地の形態を色別で表している。現在のようにしょっちゅう田んぼから宅地へ変わったりするような時代ではなかった。たんぼはずうっとたんぼ。宅地はずうーっと宅地。変化がなかった江戸時代ならではのことかもしれない。 田んぼは黄色で塗っている。畑はピンク色である。農道は赤色で塗っている。まさしく赤道のゆえんである。川や堀は水色、イグネは緑色になっている。 また現在もある大沼などが見える。絵図の脇に書いてある所在は「宮城郡国分荒井村」とある。 縮尺はどういう風に書いてあるかというと、「絵図面 以壱寸二分為壱町」とある。すなわち1町=1寸2分のことをさす。1町=1寸2分とはメートル法で言う3000分の一のことである。 さらに端の方には、次のような記載がある。「左ハ岡田村」 なにもかもおもしろい。しかし最も奇妙だったのは、除地と書かれてある所だ。除地とは士族の邸宅などがあった場所である。その村の悪く言えば支配階級、よく言えば村の権威者であり守護者であった士族の地図は軍事上の意味からだろうか? 絵図にはかかれてなく除地と言う白地でごまかしているのだ。やはり現在と違って、地図は誰でも簡単に見れるというわけではなく、かなり重要な意味を持っていたと想像されるのだ。いずれにしても荒井村地図はずうーと見てても飽きないおもしろい地図であった。 *今日、12月8日はハワイ・オアフ島の地図を持って、連合艦隊・機動部隊がアメリカに奇襲攻撃をかけた日本にとっての運命の日でもある。
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