| 大東亜の旅路 |
私の父が最近かなりの時間をかけて、何かを書いていた。それが完成し見せてもらった。一冊のノートにびっしりと記録が書いてある。タイトルは「大東亜戦争従軍記」。出征のときから日本へ帰ってきたときまでを淡々と記述していた。これまでもメモ程度にはチョコチョコまとめてきたのだが、そのメモ類を一冊のノートにまとめたというわけだ。記録の一部を見てみよう。 昭和17年3月10日、東部28部隊、高田独立山砲隊にて入隊する。 4月3日、中支派遣要員として部隊を出発。 4月9日、中支呉松(ウースン)港到着。金華県第22師団第7932部隊松井隊に編入なる。 5月15日、(セッカン)作戦に参加。 その後、杭州、ショウコウ、東陽、義鵜、ランケイ、温州、台州、蕪村、などを小作戦を繰り返しながら進軍する。 月日不明、上海到着 5月22日、台湾高雄港に上陸する 月日不明、広東省九龍に上陸、そのごマカオ、南寧、アモイ、チャンメン、桂林、各地を経て中山大学に終結し、ト号作戦に参加する 昭和20年3月9日、南支と仏印の国境にて丸一昼夜、仏軍と交戦し勝利を得る ・・・・・ こういった記述が若干の説明や感想とともに記録されていた。
「大東亜戦争従軍記」を読んで、すごいと思った。川では馬が暴れて大怪我をしたこともあったらしい。また戦闘では、砲兵隊ゆえに測距儀で距離を測り、二つの既知点からの角度を測量し、目標を探る、いわゆる前方交会法という方法を使ったが、実際戦闘が始まると、測量どころではなくなり、ただ「バンガ バンガ 撃つだけや」というものだったようだ。恐怖心の中での戦闘はさぞや大変だったろうなと思った。 戦後の日本は、父祖たちの戦いを評価することなく、ただ自虐的に「日本は悪い」の大合唱である。ではなにゆえ戦後独立したアジアの国々は、日本の戦争のおかげで独立できた。と感謝の念を表明するのか。インドネシアでは独立記念日に三人の若者が国旗を掲揚する。そのうちの一人は日本軍の軍服を着て掲揚する。また、インドの首相は日本がイギリス軍を撃退してくれたおかげでインドは独立できたと感謝している。ベトナムもスリランカでもミャンマーでも日本への評価は高いのである。バングラデシュやパラオではなんと、国旗に日の丸を採用して日本への感謝の念を表明しているのだ。(ただし、色は違うが) 父祖たちの戦いを評価していないのは、2つの反日国と日本のマスコミなど一部の人だけなのである。「大東亜戦争従軍記」を書き上げた父は満足そうな表情でノートをみんなに見せていた。ただ熱心に見ていたのは私だけで、あとのみんなはケーキに夢中ではあったが。・・・
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