良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
田んぼへの祈り

先日、堤町の「堤焼・佐大ギャラリー」という所に行ってきました。仙台でも有名な陶器として「堤焼き」は続いてきましたが、現在はこの堤町でやっているところはありません。全盛期の堤焼きは15軒ほどあったと聞きます。窯は「登り窯」という燃焼効率のよい窯でしたので、ある程度は大量生産もできました。この極めて貴重な「登り窯」をそのまま残しているのが、ここ「佐大ギャラリー」だけなのです。
登り窯は6つの窯が連なっており、火が入ったところを見たら、すごい迫力だったろうなと想像されました。当時は大量の薪をくべて焼いていたそうです。
二階には焼いていた当時作られたものがたくさん残されていました。大きな甕・壷・皿・瓦・等、実用的なものだけでなく、「堤人形」もたくさんありました。どうして人形なのかというと、昔は冬の遊びは今のようにいろんなものが無くて、子供にとっては、人形が楽しみであり、それなりに売れたから作っていたとのことです。
佐藤さんから壷の見方を教えてもらいました。一個一個が手作りのため、どうしても職人さんのうまい下手があるようです。上手な人のは、丸みを帯びるところが綺麗に曲線が出るのですが、でこぼこのものもありました。
しかし私が一番驚いたのは、田んぼにまく小さな「人形」でした。昔の人は田んぼというか米がすべてでしたから、米が豊作か、凶作かが生きられるかどうかの分水嶺でした。そのため、豊作を祈り神様にすがるしかなかったのです。そこで神社にもお祈りするんでしょうが、田んぼ、そのものにも小さな人形(神様の分身か?)をまき祈ったのです。
現在でこそ、冷害に強い品種改良が行われたり、土壌改良がなされたり、用水・排水が完備されよほどのことでなければ、米がぜんぜん取れないということは無いでしょうが、昔はあったのです。また、いもち病などに代表される、米の病気もさまざまありましたが現在は優れた農薬が開発されています。
戦後、日本は土地改良法を制定し食糧増産をめざし進歩を遂げてきましたが、それ以前の時代は、神様に祈るしかなかったのです。そのため、さきほどの田んぼに「小さな人形」の堤焼きをまいていた地方もあったそうなのです。考えてみると陶器は土ですからね。その神様の分身である人形が田んぼにまかれ、土を耕していくわけですからね。神様の御利益がありそうなものです。
それほど天候に左右されていたころの米作りは大変だったということですね。自動的にどこかの工場で「米」が生産され、スーパーに並んでいるわけではないんですね。先人たちのご苦労の賜物として今があるわけですかね。そういう意味で、田んぼに「小さな人形」をまき神様に祈っていた先人たちのことを忘れないことが一番重要だと思うのです。これらのことを忘れないためにも豊作祈願祭、そして収穫した後のお祭りである「新嘗祭」をとてもとても大事なんだと認識することが日本人の務めでしょう。ということは11月23日は「勤労感謝の日」などという戦後的な嘘くさい祝日をやめ、「新嘗祭」に戻すことが何より重要だと私は考えているのです。
田んぼに堤焼きの人形をまき祈っている農家のおんちゃんの姿を思い浮かべたらジーンとくるじゃないですか。

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【2007/10/11 22:19】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp