良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
岩井家の謎
先日、ある会で昭和13年の仙台市の中心市街地地図を見る機会を得ました。そこで以前から気になっていたある家の名前が載っていました。「岩井家」です。今日はこの話を書くことにしよう。
どうして岩井家が気になっていたかというと、5年ぐらい前のことでしょうか。親交のあった伊能忠敬研究家のW氏から電話があり、「伊能忠敬は第一次測量の往復、第二次測量の往路を国分町の岩井家に泊まったと、伊能忠敬日記に載っているんだが、斎藤さんの事務所、国分町だよね。岩井家って今もあるのかな。調べてくれないか。」と質問されたことがあった。
「はい」と返事して、でもどうやって調べて良いかわからず、そのままぶん投げてて、2,3週間後に、電話して「ちょっとわかんなかったですねえ。」と暗に、少しは調べた風を装って答えてしまった。これがなんか自分の中で引っかかってたんですよ。
だからといって何もしなかったんですが。ところが今年になってどういうわけか、岩井家に関する話が二つも重なって出てきたんです。一人は私もファンである仙台の天文家のブログ上で。やはり天文暦学を研究する人ってこの岩井家を探しているんですね。いろいろな説があるけど最終的には、定禅寺通り近くの三越付近と推定し、最後に「岩井家の壁は厚し」と書き、特定できないことにため息をついていました。もう一人は「わかった。電力ビルの近くだ。」と言っていました。
そんな時、昭和13年の地図を見る機会がありそれを眺めていると、三越付近と電力ビルのところに「岩井」ってあるじゃないですか。確かに江戸時代と昭和13年では年月がたちすぎてはいますが、関係があるのかもしれない。と言って私のレベルではここでおしまい。プロたちに任せよう。
それにしても天文暦学を研究する人たちってどうしてそんなに「岩井家」が大事なんだろう。たぶん伊能忠敬日記を丹念に読んですべてを解読しようとしてるんだろうね。その執念の方が私には謎ですが。
ところでその岩井家はとりあえず置いといて、この昭和13年の地図を見ていてとてもおもしろかったですね。例えば一力邸は藤崎の西南のところにあり、ここが青葉通りにかかりました。あるいは紅久は芭蕉の辻にありました。現在の東急ホテルのところには広大な敷地を持っていた朴沢松操実科女学校、現在の南町通りの仙建ビルのところには東北学院神学部があり、東一館って言う寄席も一番丁にはあったんですね。でも変わってないところもあります。大内屋さんとか、加藤刃物店さんとか、400年の歴史を誇る佐々重さんとか。
しかしこうやって昔の地図を見ているとつくづく歴史の変遷を感じますね。古今東西、常に諸行無常の風が吹いているようです。

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【2007/10/05 21:15】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp