今日は、山形県の上山に測量に行ったとき聞いたお話しをしましょう。
現場のすぐそばの山のふもとのところに、地蔵様がいくつか並んでいた。これは何ですかと地権者さんに聞くと、「古い時代からずうーとあるから、詳しくはわからないけども、たぶん境地蔵ではないかと思う。」 境地蔵とは、その集落の端にあり、その集落を守る守り本尊のようなものだという。現代の我々の感覚では、理解しがたいだろうが、江戸時代やもっと古い時代は、国とかいう概念はなく、その集落が一つの国であり世界なのだ。
とりわけ山形の上山の山のほうでは、安全を守るのは、国でも藩でもなく、その集落の連帯感だけが頼りだったのだ。だから、その部落から遠くに出かける場合、その境地蔵さまにお祈りをして安全を祈願してから旅立って行ったのだ。帰ってきたら、また境地蔵さまに「無事に帰ってくることができました。お地蔵さま、ありがとうございました。」と報告とお祈りを捧げたのである。
現在では、市や町が単位であり、集落が絶対的な存在という認識は誰も持ち合わせてはいないだろう。市や町の境にしたって、別段何かお祈りする場所があるわけでもなく、それはとりもなおさずどこに行っても基本的には安全だという保障がなされているからだ。しかし、地図でも公図でも、なにゆえ「字(あざ)」が小単位なのかといえば、この字こそが本来の集落、あるいは部落といわれた小さな国であったことの名残なのだ。
交通が発達した現在においては、まったく意味をなさなくなった、「境地蔵さま」。だけど壊すでもなく、その村の人たちはお地蔵さまに時々お供え物をあげてお祈りしているのだという.。「災害が起こりませんように、孫が病気になりませんように、、娘のお産が無事でありますように、子供が受験に受かりますように・・・・・」これからもあらゆる人々の思いや祈りを「境地蔵さま」はすべて受け止めてくれるであろう。私は各地に残るこのような極めて日本的な祈りの風習がとても好きである。
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