良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
多賀城の線路

以前、多賀城の臨海工業地帯付近で境界立会いを行ったことがある。隣地の公図が以前は水路か農道のような形をしていた。今日は、そのとき知った意外な話を紹介することにしよう。

公図上そこには約2m幅で細長く続く地番があった。今はそれぞれが民間に払い下げられており、それぞれの登記簿がある。しかし、地権者さんに聞くと、そこは以前、水路敷だったと言う。
その後の区画整理によって新たに水路が作られたため、以前の水路は廃止され、それぞれ隣接する地権者に払い下げられたというのだ。
ここまでは、公図を見た上で、私が推理したとおりだったのだが、地権者さんはさらに古い話をするのだ。
「この元水路があったところは、戦前、この辺が海軍工廠だったときの線路跡なんだ。」
なんと、この辺は海軍工廠だったというのだ。海軍工廠とは、全国に15箇所ほどあった海軍専用の「銃器・火薬類などを作るところ」であり、多賀城にも広範囲にわたって存在していた。
戦後、海軍が解体され、海軍の土地が多賀城市などに移管されたり、民間に払い下げられた。
海軍工廠時代は、この元水路のところが専用の線路で、作られた兵器類が運ばれていたらしいのだ。

そういえば以前、多賀城の伝上山というところで立会いしていたときも、そこが海軍工廠で働く工員さんたちの宿舎だったと聞いたことがある。

いずれにしてもかつて線路で、その後水路になり、そして今は民間に払い下げられ宅地の一部となっている現実を見ると不思議な気がする。

ここがかつて海軍工廠の「機銃部」や「火工部」だったのか。ということはこの付近に弾薬包を装てんし試験発射する射撃場もあっただろう。そしてここで作られた機銃や爆弾を満載してこの線路を通り運んでいたわけだ。

うーん、なんか不思議だ。今は平穏な工場が立ち並ぶこの土地がかつて爆弾や機銃をつくり、そして専用線路で運んでいただなんて。しかもその線路跡が今の公図上にも載っていることがなお不思議なのである。

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【2007/07/11 21:17】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp