良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
宮床にて

大和町宮床に行く機会がありましたので今日はそのときの話を書きましょう。
私は宮床の東北測量専門学校(現、東北理工専門学校)卒業なので、宮床にいたことがあるのですが、その当時は宮床が歴史的な町であるなどとはまったく知りませんでした。

今回は、宝蔵(たからぐら)というところに行きました。ここでは七ツ森のことから宮床の歴史全体がわかる歴史館なのです。驚いたのは宮床は伊達家と深い関係があり、宮床小学校の西南のところにお城があったことです。初代の城主、伊達宗清。二代目の城主、伊達吉村はなんと仙台藩の五代目のお殿様になる人です。びっくりです。何ゆえ宮床と仙台藩の伊達家がこんなに濃密な関係になっているんでしょうか。
お城があるとは尋常ではありません。白石にもありますがここは伊達家と切っても切れない片倉家があるところです。それと同じレベルだったことになります。
城の絵地図を見ました。本丸から二の丸、その他の屋敷群、庭園とかなり本格的だったようです。宝蔵の南側の山に登るとおもしろい立体的な地図がありました。透けたガラス式になっていて、宮床小学校が右側に見え、上の方には七ツ森が見えます。そのガラスには昔の城が描かれていて宮床小学校の西南の辺りにあったことがわかる仕掛けになっているのです。いまは森になっていました。
一説には、宮床城は伊達の殿様の逃げる場所との説があります。つまり、仙台藩を出て郷六(ここにも城ではないですが郷六屋敷とよばれた要害がありました。)を通り、根白石に行きます。根白石にも小さな白がありました。さらに要害川付近の八幡神社を北に進むと宮床に至ります。
意外に仙台と宮床は近いのです。しかも西のルートを通ると仙台藩と密接な関係のある要害を通ることになり、安全に殿様は宮床に逃げることができたのです。この説もまんざら嘘とは言い切れません。

この宮床城だけでなく気になる場所がありました。例えば、信楽寺跡です。松倉山の南側に寺院群があったそうですが、明治初期に焼失したそうです。七ツ森も修験僧たちの修験の場所だったそうです。かなり宮床は深そうです。しかし、こんなすごいところに観光者は誰も来ていませんが。


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【2007/03/12 11:17】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp