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良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
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リーダーと適材適所
東北や北陸の日本海側での豪雪はすさまじい状況である。
ところが民主党政権になってからは、東北の主産業でもあった公共事業が半減させられたため建設業が目減りしていた。
そこに3.11がおこり建設族が少し戻ったところに、昨年の台風ラッシュ、そして今回の豪雪ときた。
このためただでさえ重機不足があり、ましてや豪雪の何たるかを知らない政府は、豪雪対策費という公共事業を全く盛り込んでいないため、日本海側は雪に埋まっている状態である。

民主党政権になるや・・・3.11という試練・・・台風12号をはじめとする台風ラッシュという試練・・・豪雪という試練

いったいどれだけ日本を苦しめたいんだろうか?

ということで今日は前回に続き「リーダーと適材適所」について書いていくことにしよう。
ところで、民主党政権になってから、まともな大臣を見たことがあるだろうか。
すべてひどいけど、とりわけひどいのが防衛大臣である。
そもそも国防を一度たりとも勉強したことがない人が防衛大臣になるのだ。
自民党の国防族からの鋭い追及に一言も答えられない大臣を見るのがまことに哀れである。
なぜこうなったのか、そもそも人材がいない政党をマスコミがよいしょし、つい国民も反自民のトレンドに乗ってしまったことから起きた不幸なのである。
しかも総理大臣はぬけぬけと「適材適所」で選んだと公言する始末である。しかも党内融和を優先するために知識の全くない田中氏を防衛大臣に選んだのである。ひどすぎるよ。

以前、大東亜戦争を敗北に導いた日本海軍の愚将・山本五十六司令長官のことを書いたが、やはり組織というものは、人事に尽きるのでないか。
戦術や作戦ももちろん大事だけど、結局それらの戦術を編み出す、あるいは具体化するのも人である以上、トップあるいは現場のトップを誰にするかという人事にすべては尽きるのではないかと思うのだ。

ミッドウェイで大敗北を喫した南雲長官・草鹿参謀長を選んだのも山本司令長官であり、その後も延々と使い続けたのも山本司令長官の責任である。もっと言えばこういう山本司令長官を選んだ永野軍令部総長や及川海軍大臣も見る目がないわけだけど。
なぜ航空戦を全く知らない南雲長官を選んだのかといえば、年功序列と論功行賞で選んでいるのだ。
それだけで日本という国家の命運を担わせていたという。
まるで民主党の人事と同じで、国民のことよりも先輩・後輩など仲間内の感情を優先した人事の結果が、ミッドウェイ敗戦だったのである。

しかし、これらと全く真逆の人事を貫き、見事な勝利を収めた偉人もいるのだ。
山本権兵衛海軍大臣である。まさしく日露戦争を勝利に導いた偉人中の偉人である。
一般的には艦隊司令長官の東郷元帥が有名だけど、なんといってもこの東郷元帥を大抜擢したのは山本権兵衛大臣である。
山本権兵衛は年功序列や情実人事を特に嫌う。日本海軍を常に近代的に改革することに情熱を燃やした人である。
どうやって戦争に勝つのか、そのたまに作戦参謀は誰にするのか、常に能力を見極め、進歩する兵器や戦術に対応できる人事にまい進してきた。
日本海軍は西郷従道と山本権兵衛が作ってきたと評される。
西郷が海軍大臣の時、山本権兵衛は人事をつかさどる軍務局長を任された。
すると大胆にも年功序列でのし上がってきた能力のない先輩たちも含めて約100名の将官をクビにした。
将官たちが騒ぎはじめると西郷海軍大臣から呼ばれた時のエピソードがすごい。

西郷「こんなに将官たちをクビにしていいのか?」
山本「功労者には勲章をやればいいのです。実務につけると百害を生じます。」
西郷「恨まれるぞ。」
山本「むろん、彼らは私を恨むでしょう。しかし国家がつぶれてしまえば、何もかもおしまいですから。」

この洞察力が異常に鋭い山本権兵衛が大臣になったときあらゆる反対を押し切って選んだ艦隊司令長官が東郷平八郎元帥なのである。
当時、東郷は舞鶴にいて間もなく次は予備役か、つまり左遷かといわれるほどの、窓際族だったのである。
ところが東郷の実力を見抜いていた山本大臣は現場のトップ、すなわち戦争を指揮する最重要ポストに彼を指令したのである。
そして東郷に言う。「ロシア軍艦を全滅するためには、日本の軍艦も半分は沈める覚悟でなければならない。東郷その覚悟ができてるか?」
すると東郷は言う。「むろん。」

山本は表面的にはロシアとの開戦に反対を言っていたが、それはあくまで準備が整うまでのことであり、ロシアとの開戦は避けられないという読みもあった。
そして裏では、製鉄所や造船所を整備し燃料も大量に確保し、さらには技術開発を徹底させその日に備えていた。
そしてある程度ロシアと五分五分に戦えるという算段が整った時に、開戦もやむを得ないと表明しいよいよ戦争に至るのである。
日露戦争で活躍した旗艦・三笠を購入するときにも山本らしいエピソードが残されている。
実はイギリスのヴィっカース社から購入するのだが、すでにその予算がなく、なんと別の科目をごまかして、つまり国会の目をごまかして購入したのだという。
もし国会で気づかれたときは、当時の西郷大臣と山本軍務局長は腹を切る覚悟だったという。

すべてにわたって日本を強くしたい、戦争に勝利するにはどうすればいいのか、こういった素晴らしい国家観があっての考えであり、この強烈な愛国心がすごい洞察力を実に着けさせたのかもしれない。

その後も大正時代には総理大臣の時に、関東大震災に遭遇している。
この時、東京市長だった後藤新平と会い次のように懇願しているのである。
「新平、この難局を救えるのはお前しかいない、頼む手伝ってくれ。」
こうして後藤新平は復興院総裁となってこの難局を乗り越えるのである。

この時もまた人事による「適材適所」を鋭く見つけてその人の能力を最大限生かすのである。
このすさまじい洞察力ってなんなんだろう。

復興院総裁を命じられた後藤新平の活躍はこれまた素晴らしかった。
しかも復興院ができたのも早く、震災から一か月後には稼働していたのだ。
(ちなみに東日本大震災後の復興局ができたのは約一年後の今年、この違い、ため息が出そうだね。)

日露戦争、関東大震災といった日本の国難にあたり、幸いかな、素晴らしいリーダーに日本は恵まれた。
山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之、後藤新平・・・
しかしそこにはたぐいまれな強固な信念と強烈な愛国心を持った山本権兵衛というリーダーによる「人事の適材適所」が大きく関与していたことは間違いないと考える。

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