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良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
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山本と山口、そのリーダー観の違い
先日、イタリアの豪華客船の座礁事故があったが、乗客を救うべきリーダーである船長が、真っ先に逃げたことが話題をさらった。
ということで今日はリーダーのことについて書くことにしよう。

友人が映画「山本五十六」を見てよかったと言ってたので私も見ることにした。
ただ原作・監修が中途半端な歴史家・半藤一利だったのでどうかな?と思っていたが、案の定しょうもない映画だった。
山本五十六をただただ美化して、反戦の軍人、日独伊三国同盟に反対した人、戦争はしたくなかったが早く終結させるために、あえて乾坤一擲の奇襲作戦を成し遂げた素晴らしいリーダーとして表現していた。

ばっかじゃなかろうか。
むしろ実態は逆である。無能のリーダーだったのである。
確かに航空戦に熟知していて空母決戦になるだろうとの読みはあたっていたけれど、実際の作戦はすべてが中途半端でした。
しかもイタリアの豪華客船の船長同様、まったく現場には入ってません。
真珠湾攻撃の時も日本国内にいましたし、ミッドウェイのときも戦艦大和に乗りながら戦わず、機動部隊から1000kmも後方を航海し、負けがわかると即座に日本に逃げ帰ったのです。空母赤城などを見捨てて。
そもそもなぜハワイ作戦が必要かも私にはわかりません。
むしろ井上成美のいうように南方戦線を完全に掌握し油を確保し将来のアメリカとの決戦に備えたほうがよかったと思うのですが。

しかも真珠湾攻撃にしてもハワイを占領するでもなく、第一次攻撃で終わりにして、最も重要な施設である、油のタンク、港湾施設、修理施設のドック、飛行場の施設などは全く攻撃せずすぐに帰ってきてしまったのです。
さらに主力である米空母は一隻もいなかったため、結果的には何の成果も見ることなく無残に終わったのです。
その後アメリカのリーダーは語っています。「数隻の古い戦艦を沈められただけですべての施設が残ったのは幸いだった。日本の馬鹿のおかげで。」

しかし素晴らしいリーダーもいたのです。山口多聞中将です。
残念なのは現場のトップは山口ではなく、戦争、とりわけ航空戦を全く知らないずぶの素人・南雲中将だったことです。
南雲中将と草鹿参謀長は、臆病というか消極的というか、航空戦を全く知らないために、すべての作戦が後手後手というか裏目に出てしまいます。航空戦に関しては完全な素人だったのです。
山口多聞は真珠湾の時も、第一次攻撃のあとに第二次攻撃、第三次攻撃、第四次攻撃をして、ハワイの諸施設をすべて破壊し、さらに空母を追いかけて撃滅すべきだと主張しますが、そもそも戦いたくない南雲、山本五十六は「勝利したんだからもういいじゃないか。」と却下します。
草鹿参謀長に至っては、武士たるものは敵に一太刀を浴びせたらそれ以上は深追いしてはならない。と武士道精神で近代戦争に当てはめようとしました。完全なる間抜けです。

こうして運命のミッドウェイ作戦での大敗北がやってきます。
現場のトップはまたしても南雲中将、草鹿参謀長のラインです。
山口多聞中将が索敵機の情報から敵空母らしきものがあるので、ただちに攻撃機発艦の準備をすべしと進言しても、間抜けコンビは、「まさか、こんなところにいるはずがない、それよりもミッドウェイ島攻略にそなえて攻撃機は温存すべし。」と言い出す始末。そして日本の空母群はほぼ壊滅。
ところが山口多聞の乗っていた小型空母「飛龍」は敵空母への備えをしていたので、敵の猛攻の中、攻撃機や零戦が戦いさらには空母ヨークタウンを追尾、そして魚雷攻撃によって沈めるのだ。
しかし敵の圧倒的な戦闘機群によって日本の戦闘機で帰ってきたのはわずか6機でした。
もはやこれまでなのです。
ところが猛将・山口多聞中将はそれでもあきらめません。鬼神となった山口多聞中将はわずかとなった戦闘機軍に発令しました。
「総員に告ぐ、第三次攻撃隊発艦。」 まさしく涙の発令でした。
その後、飛龍自体が敵の魚雷攻撃によって傾きはじめ、沈没は時間の問題となる。
山口中将はすべての乗組員を他の艦艇に逃がします。そして加来艦長とともに責任を取って二人だけ「飛龍」に残り自沈を決意します。
山本五十六司令長官、南雲中将、草鹿参謀長がいつの間にか日本に逃げ帰ったのとは対照的に。
しかもこれだけの大敗北を喫しながら彼らはその後も日本海軍の中枢で作戦を任せられるのです。全くわけわかりません。
ちなみにこの猛将・山口多聞のすごさは名前にもいわれがあったのです。
この多聞とは、天皇陛下をお守りするために「七度殺されてもまた生まれ変わって天皇陛下のために戦うことを誓った」楠正成の幼名・多聞丸からきてるのです。
まさしく天皇陛下のために戦うことを宿命として生まれてきたようなものです。
だから山本五十六長官や南雲中将とはぜんぜん天皇陛下への思いというか覚悟が違っていたのです。

「飛龍」では、乗組員全員を他の艦艇に逃す直前、山口多聞中将は総員に最後の別れの言葉を言います。
「第二航空戦隊は、あらゆる戦いに加わり、偉勲を立ててきた。この戦いにおいても、敵空母二隻を攻撃し立派な戦果をおさめた。諸氏は開戦以来、全力を尽くして祖国のために戦った、感謝にたえない。諸君とはここでお別れするが、諸氏の今後の武運長久を祈ってやまない。これから諸氏とともに皇居を遥拝し、天皇陛下万歳を唱える」
天皇陛下ばんざーい、天皇陛下ばんざーい。

戦前、アメリカ海軍のリーダーたちが最も恐れていたのは山口多聞中将が指揮を執ることでした。
畏れとともに最も尊敬していたのかもしれません。その素晴らしいリーダーシップに対して。
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