FC2ブログ
良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

生死の分かれ目
先日、多賀城で看護婦さんとして働く私の友人からとても印象深い話を聞いた。生死の分かれ目に関する話である。
ということで今日は生死の分かれ目に関する話を書くことにしよう。

大震災のあの時、友人はちょうど多賀城の駅前にほど近い生協付近を歩いていた。
近くには小学生の女の子がいた。
二人はあまりの強い揺れに驚きすわりこんだ。怖がる女の子をすぐに抱きしめ「大丈夫だからね、大丈夫だよ。」と安心させ
強い揺れの余震の間ずうーと抱いていたという。そして「家はどこなの?」と聞くとすぐ近くだと答えが返ってきた。
そこで友人は安心して手を離し家にすぐ帰るように言ってしまったのだ。
まさか巨大津波がこの辺まで来るとは思わずに。
歩いていく先を最後まで見届けることなく友人もそこを後にした。
あとで知ると、あの女の子が曲がり角を右に曲がっていれば大丈夫、左すなわち多賀城駅のほうに行っていれば津波に巻き込まれた可能性があることがわかったのだ。

それからは震災後の対応でとても忙しい毎日で忙殺されていたが、あの女の子が右へ行ったのか、左へ曲がったのか、ずうーっと気になっていたのだ。誰にも打ち明けられずに。
どうしてあの時、手を放してしまったのかを後悔しながら。
それからというもの、毎日のように新聞の死亡欄を見るようになった。
最終的には、多賀城では小学生は一人も死亡者がいないことが確認できやっと安心したと言う。
その少女が右に行ったのか左に行ったのかが生死の分かれ目になった可能性もあるわけで、とても印象深い話でした。

これと同じような話はたくさん聞くことがありました。
例えば、仙台空港の東側の海岸付近に家がある私のおじさんがそうです。
亘理塩釜線を岩沼から車で北上していて、家がすぐ目の前まで来たときに地震が来たそうです。
強烈な地震が来た後に家にいったん帰ろうかどうしようか迷ったけれど、何か胸騒ぎがして仙台空港のほうへ曲がり空港へ避難して助かったという。
家に行っていたら駄目だったかもしれないとおじさんはいうのです。これもまた生死の分かれ目です。

あるいは亘理の親せきの家は海岸付近にあるのですが、そこのばあちゃんは孫が幼稚園から帰ってこないのでとても心配していたという。
ところが、孫は別の方が車で迎えに行き難を逃れることができたのだ。このことをいくらばあちゃんに説いても孫が帰ってくるまでここで待ってると言っていうことを聞かずに津波にやられてしまったという。
なんという生死の分かれ目だろうか。

多賀城では総合衣料品メーカーで有名なユ〇〇〇での悲劇もあった。
ここではなんと店長がシャッターを閉じて、そのまま社員に帰宅命令を出さずに社員全員死亡という恐るべき事故が起きたが、地元の一部ではこの話が有名だが、なぜかマスコミは一切報道しないのである。
石巻の大川小学校の悲劇と同じレベルではあるが、テレビも完全に無視を決め込んでいる。
この衣料品メーカーは、極端なシナ寄りで知られ、尖閣列島などどうでもいいじゃないか、中国との商売こそが一番大事であるという趣旨の発言を繰り返す会長様がおられるところである。
なにより社員の命こそが金よりも大事であると思うのですが。
不思議なのは、3.11のあと以前にもまして、この会社のテレビへのCMが膨大に流していることである。多分数百億円を投入しているのではないか。
したがってテレビ局としても、この事故を報道するとまずいという判断が働いたのであろうか。
お金欲しさのために事実を報道しなかった可能性もあるのである。いずれにしても生死の分かれ目がここには厳然としてあった。一瞬の判断が生死を分けた事実が。


こういった一般における生死の分かれ目はたくさんあるだろうが、政府のあまりにも情けない生死の分かれ目に関する事実も書く必要があるだろう。
言わずと知れた、当時の寒総理大臣による3月12日午前の福島第一原発へのヘリコプターによる視察問題である。
すでに米軍や東電の現場サイドでは、11日の夕方の時点で尋常でない事態を把握していた。
東電は水蒸気爆発に備えて、12日の早朝からベントをする準備に入っていた。
ところがそこへ寒総理からの一方的なヘリコプターによる視察を強行する電話が鳴ったのだ。
危ないので視察の中止を迫る東電側、しかしどうしてもパフォーマンスを優先したい寒総理は視察を強行してしまうのだった。
東電はやむなくベントを12日午後に切り替えてしまった。すると寒総理が帰った数時間後に水蒸気爆発が起こってしまうという最悪の事態になってしまう。
原発爆発による生死の分かれ目はこの一事に尽きる。頑張ってる姿を世界にアピールしたいためだけのパフォーマンスとして視察が強行されたのだ。
ほとんど大量殺人に相当する犯罪を総理が犯したことになる。

あるいは沖縄米軍の司令官で、赤い新聞社の謀略に引っかかり解任されたケイン・メア氏が震災後の政権のあまりのひどさを暴露した記事を読んだ。
それによると米軍は震災直後から大量の物資、医薬品、食料、建設機械などを輸送機やヘリコプター、輸送船などに満載して被災地に送る計画を立て、日本政府の承認をもらおうとしていた。
ところがいちいち、この医薬品は日本側の薬事法上問題があるとか、つまらない質問を次々と浴びせてきたという。
米軍は仕方なくそれらにいちいち答えを書き、両者の間で応答を繰り返した結果、なんと2週間がたってしまったという。
最低だ、民主党政権は。緊急事態においては人の生死には72時間の法則があるということを知らないのだろう。

でも民主党政権のアフォさばかり書いていると具合が悪くなってくるので、いい話を書いて今日の生死の分かれ目の結びとしよう。
石巻で小・中学生たちに英語を教えていたアメリカ人女性、テイラー・アンダーソンさんの美しいお話である。
なんと彼女は、教え子すべてを親に引き渡すまで津波の恐怖から逃げなかったという。
そして全員を引渡しそれから自転車で高台に逃げる途中で被災し死亡したのだ。
急きょ来日したテイラーさんの父親が遺体を前にして言うのだ。
「津波が想像を超えるものだったことがよくわかりました。娘が仕事をしていた場所を見ることができてよかった。
祈り、支援してくださった人々に感謝します。・・・・・これからも行方不明の方々のために、それに日本の人々のために祈ります。」と語ったのだ。
そしてさらには日本の復興のためにとアメリカで義援金活動を始めるという。

母親はさらにこう続けるのだ。
「娘の死に方は、彼女の人生観を象徴しています。娘は人に対して深い思いやりを持った暖かい性格でした。
彼女がこの世で行った最後の行いは人を救うことでした。
それは何より彼女の人柄を物語っています。テイラーは生徒たちから大好きな先生として慕われていたようです。
私は、娘を誇りに思っています。」

テイラーさんこそ自分だけが生きようと思えば簡単に助かったことだろう。
しかし教え子たちを最優先した結果がこうなったのだ。
生死の境目を超えた美しい教えがここにある。

私の本業のホームページ:不動産法コンサル・サロン http://www.estate-consultant.jp
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://esconsul.blog66.fc2.com/tb.php/232-d9bb7ffd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

斎藤良一

Author:斎藤良一
E-mail:info@estate-consultant.



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



アクセスキーワード(上位5件)



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。