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良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
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スサノオの涙、お地蔵さんのほほえみ
前回のブログで、飲み仲間と巨大地震の震源地・金華山に行って「荒ぶる神様・スサノオノミコト」にお祈りしてくる参拝の旅のことを書いたが、本当に行ってきましたのでこの報告をすることにしよう。

巨大地震の震源地は、金華山の東、20km。金華山は恐山、出羽三山とともに霊山としてその名を知られ、島全体が神様のおられる聖地として存在しています。
歴史的にも何度となく巨大地震が金華山沖で起きていることから、私は今回の地震の際も「震源地・金華山沖」と聞いた瞬間
荒ぶる神様として畏れられているスサノオノミコトの神様を連想しました。

私は日本書紀の中で最も印象深い部分が、神功皇后の朝鮮征伐のシーンと、スサノオノミコトの生きざまです。
実際スサノオノミコトは海を治めることを命じられるがこれを拒否し暴れるだけ暴れます・
これらのことから日本を襲う台風や噴火、津波などの大災害はスサノオノミコトが暴れたからだという説は昔から語り継がれています。
だから869年の貞観津波のあと当時の都・京都の八坂神社で祀っているスサノオノミコトの霊が平安になるようにと願い、「祇園祭」が始まったのです。
恐るべし、スサノオノミコトの神様。

金華山1 金華山から牡鹿半島を見たところ

今回の津波で金華山は大変な災害にあい船着き場もまだ完全には修復していませんでした。
そのためまだ定期船も就航していないことから、我々は船をチャーターしていくことにしました。
中腹にある黄金山神社に行く道もずたずたの状態で激しい揺れと巨大津波だったことがわかります。
上の写真は金華山から牡鹿半島を眺めたシーンですが、地震のあと突然この海が引き始め、完全に海底が見えたそうです。
そのあと北側と南側から巨大津波が押し寄せなんとこの写真に写っているあたりで二つの巨大津波がぶつかったそうです。
これを目撃した船頭の奥さんの話では、40mから50mぐらいあったということです。

金華山3 中腹にある黄金山神社の鳥居、津波はこの鳥居の上まで来たそうです。

金華山7 黄金山神社

黄金山神社まではいけるのですが、ここから山の頂上まではまだいけないということでした。頂上に上り太平洋を望み、スサノオノミコトにお参りすることが目的の我々としては少し不満です。
そこで船頭の奥さんに頼んで船で外洋付近まで行けるかと聞くとなんとかなるという。
ということで今度は金華山の東端まで行くことになりました。

金華山2 金華山の東端付近、どんどん荒れてきました。

金華山4 外洋に近づくと激しい揺れと雨となりました。

外洋に近づくとどんどん波が激しくなり、雨脚も強くなってきました。
さすがの船頭さんも「これ以上行くと危険なので無理だなあ。」
我々はスサノオノミコトの御足の一部が見えたか見えないかというところで帰らざるを得なくなりました。
こうして鮎川港へ帰ったのですが、港につくと晴れてきてさっきの激しい雨がまるで嘘のようでした。
先ほどの激しい雨はきっとスサノオノミコトの涙だったのかもしれません。

ところで蒲生海岸でも奇跡が起きたという話を聞きましたので報告します。
蒲生海岸のすぐのところに中野小学校がありますが、ここに不思議な地名があります。
念仏田(ねんぶた)です。
ここは江戸時代の慶長津波においても大変な被害が出たところです。
しかもなかなか海水が引かずに困っていたので、生き残った住民たちがここで念仏を唱えたのです。
すると突然海水が引いたことから奇跡が起きたという伝説が生まれ、「南無阿弥陀仏」の六文字を掘った碑を作り、お地蔵さんを置いたのです。
これが「念仏田地蔵尊」と言われるものです。

金華山6 蒲生の子供たちと小学校を守ったという新しい伝説が生まれた念仏田地蔵

この写真のようにお地蔵さんの周りは小学校を除いて一軒もありません。
私が行った時もある主婦の方がお参りをして手を合わせていました。
聞いてみると地震の時、この近くの道路で友人と話をしていたそうです。
地震後その主婦の方は中野小学校へ逃げ、友人は家に戻りそのため亡くなったそうです。
小学校へ逃げ屋上で寒い夜を過ごしたそうですが、家が流されるのを眺めながら、子供たちは一晩中泣いていたそうです。
海水が引き始めた3月12日になりみんなで街の方向へ歩いて救援を求めたそうです。
この周りはおびただしい人の死体があちこちにあってすさまじい光景だったようです。
ただ救いだったのは、たまたま小学生は全員中野小学校にいて、全員無事だったという奇跡です。
この写真のように、中野小学校をのぞいてはすべてなくなった蒲生地区にあって、小学校のまん前にどっかりと座っているお地蔵さんの姿は当時から不思議がられ、きっとお地蔵さんが中野小学校と子供たちを守ったんだと多くの人が言っていることです。
この写真のようにたくさんの花やぬいぐるみが供えられ、蒲生地区では新たな伝説が語り継がれようとしているのです。
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