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良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
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慰霊祭に思う
昨日は仙台市が主催の大震災合同慰霊祭に出席してきました。
とりわけ被災した二人からの「お別れの言葉」は会場を静寂に包みこみ、多くの方が涙を流していたようです。
他の方々のスピーチも復興への意気込みも感じられとてもよかったです。寒総理の代読のスピーチをのぞいては。
最後に八軒中学校の合唱団による「しあわせ運べるように」という合唱が素晴らしく、無念のうちに亡くなられた死者たちの魂に少しは届いたのではないかと思わせるような感動的なものでした。
ということで今日は慰霊について書いていくことにしよう。

仙台では昨日7月11日は大震災の慰霊祭、ところが2日前の7月10日は大東亜戦争時の仙台大空襲の慰霊祭だったんです。
つまり仙台では2日続けての慰霊祭が行われていたのでした。

1か月前、ある地権者さんTさんというおばあさんから仙台大空襲の時の話を聞いていたのです。
Tさんは白石高等女学校を昭和18年に卒業し難関の仙台駅駅長室秘書に合格し勤め始めたと言います。
仙台駅駅長室というのは極めて権威が高く東北方面に立ち寄る総理大臣をはじめ有名な方は、必ず仙台駅駅長室に立ち寄り挨拶をするというのが慣例だったそうなのです。
その秘書役だったわけですから大変な任務ではありましたが光栄だったそうです。
通常ではあえないような方とも駅長室で会えてちょっとした会話もしたようです。
思い出深い方は東条英機陸軍大将・兼総理大臣、昭和18年に仙台に用事があり駅長室に来たそうです。
緊張していたのですが、逆に東条陸軍大将のほうから話しかけていただき、意外に気さくな方なんだと思ったそうです。

他には当時人気絶頂だった女優の高峰秀子と会ったそうなんですが、この時はなぜかホームに一人でいたそうです。
寒い日だったので駅長室でお茶でもどうぞと話しかけて連れてきたそうです。
やはりきれいだったそうです。

Tさんは白石から東北本線で通ってきていたそうですが、映画が大好きで仙台駅での仕事が終わってから時々一番町の「松竹」などの映画館で映画を見てから帰ったそうです。
運命の昭和20年7月10日、その夜も映画を見てから白石に帰ったそうです。すると深夜に仙台が大空襲にあい焼け野原になったのです。
しかしどうしても仙台駅に行きたいという思いが強く、槻木まで走っていた東北本線に乗り、槻木からは延々と歩いて仙台駅に向かいました。
五橋のあたりからは焼け野原になっており、死体もゴロゴロあり異臭がしてむごい状態だったそうです。
仙台駅も破壊されて使い物にならなかったそうですが、多くの駅員さんとともに今の仙石線のホームのほうに仮の事務所をを作り復旧にあたったそうです。
「あの時は日本も、仙台ももうだめなのかと思ったんですけどこんなに素晴らしい街になってね、信じられないですよ。」

私は敗戦という未曽有の国難にあっても、このように素晴らしい国に復活できた要因は、先人たちの頑張りを評価し、亡くなった方たちの分もがんばるという思いをずーと持っていたからではないかと思うんですよ。
つまり正しく「慰霊」してきたからではないか。ただしある時までは。

昭和天皇は、敗戦後素晴らしい歌をお読みになって、英霊たちに感謝し、同時に生き残った者たちにエールを与えてくれたのです。

国のため たふれし人の魂をしも つねなぐさめよ あかるく生きて

(国のために戦い亡くなられた英霊たちの魂を永遠に忘れずに慰めなさい そして残されたものは明るく生きて頑張りなさい)

さすがだよ、昭和天皇は。最後のあかるく生きてという部分が大事だし、同時にしばらくたつと人間というものは「慰霊」の心を忘れてしまいがちだ。
これを「つねになぐさめよ あかるく生きて」と断言されたのだ。
そのとおりである。しかし昭和天皇が慰霊の心を忘れないようにしなさいよと忠告されたにもかかわらず、昭和50年代あたりから日本はおかしくなり始めたのである。

今もなお大東亜戦争で亡くなられた未回収の遺骨は120万体以上あるが、やる気のない厚生省は遺骨収集をやめてしまい、せめてもの英霊の魂の眠る靖国神社への参拝も、シナ・朝鮮から「行くな」と命令されると、その通りに従うおバカな政治家が増えてきたのだ。
また、ブッシュ大統領をはじめとして世界中の要人が、「もう60年以上たったのだから」と靖国神社への参拝を希望しても、「シナ様から怒られますから。」とあほな論理で参拝を阻止する狂った外務省の役人どもがいるのです。

慰霊とは、亡くなられた死者のことを心にとどめて忘れないことです。彼らの頑張りを讃えてそれに続こうとすることです。
今回の大震災もこのことを忘れずに、これを教訓として「安全保障政策」を充実させることこそが供養になるのです。
事業仕訳でずたずたにされた公共事業をすることが大事なのです。

いみじくも昭和天皇が国難の時に発せられた言葉を我々は忘れてしまっていたのです。
国難に斃れた者たちを慰霊する心を忘れずに、同時に「あかるく生きて」という前向きの気持ちを持って生きることにいたしましょう。

国のため たふれし人の魂をしも つねなぐさめよ あかるく生きて

つたない文章を最後まで読んでくれてありがとう

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