FC2ブログ
良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

海ゆかばと大悲の心
震災から二か月半過ぎたというのに海岸部のほうはまだまだ膨大ながれきに覆われており復興が少しづつしか進んでいない。福島もまだまだ予断を許さない状況である。
そんななか天皇陛下が御病気にもかかわらず毎週のように避難所を訪れ慰問してくれる姿は被災者だけでなく、我々国民に深い感動を与えてくれる。

なぜなんだろう、寒総理が避難所に行くと罵声が飛ぶのにたいして、天皇陛下が行くと最後には体育館のあちこちから自然と「ありがとうございました。」と声が上がりそして拍手が鳴りやまないのだ。
誰も頼んでいないのに。

仙台の宮城野体育館ではより感動的な出来事があった。
偶然にも私の姉の知り合いの佐藤さんという方が被災者となってあの体育館に住んでいたのだが、前の日にがれきとなった自宅に戻ったとき海水を浴びたはずの庭のあたりに「水仙」ががんばって咲いていたという。
この水仙を摘み取ってきて、体育館に来られた皇后陛下にお会いしたときにお渡ししたという。
この女性が阪神大震災の時のエピソードを知っていたかどうかは不明である。
このエピソードとは、皇后陛下が阪神大震災の時に皇居に咲いていた水仙を神戸に持っていき被災者にお渡ししたことである。
水仙のような球根のある植物は強い生命力があるが、とりわけ水仙は強い。このことから皇后陛下は摘んで行かれたのではないか。水仙のように頑張りなさいよという思いで。
それが仙台では逆に被災者からそれも海水に浸った自宅に咲いていた水仙を渡されたわけで皇后陛下もさぞかしお喜びだったのではないか。
その証拠に帰京された羽田空港のタラップから下りられるときに、な、なんと皇后陛下は手にしっかりとあの水仙を持っておられたのだ。

南三陸黙礼 海に向かって黙礼される天皇皇后両陛下

海のほうに向かって黙礼される天皇皇后両陛下の姿はジーンとくる。
慰霊とは死者の無念さを思い、生きている者が全身全霊で受け止めてあげる行為、あるいは儀式である。
その国民の象徴であり全体である天皇陛下が深々とこうべを垂れ死者の魂を受け止めてくれるのだ。
やはり天皇陛下は国民とともにあるんだとつくづく思う。どんな苦難の時でもつねに国民のことを祈ってくれているのだ。
ありがたいことである。

私は今回の震災での映像を見ているとどうしても戦前の第二国歌とまでいわれた「海ゆかば」を思い出してしまう。
戦死された方の慰霊の時には必ず演奏された荘厳な曲である。

「海ゆかば」

海ゆかば 水浸く屍(みずくかばね)
山ゆかば 草生す屍(くさむすかばね)
大君の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

「海を行けば水に浸かった屍となり、山を行けば草の生す屍となって、大君のお足もとにこそ死のう、後ろを振り返ることはしない」

巨大地震・津波という天変地異と戦争は違うけれども映像を見る限り何か連想させる。あのがれきの下で苦しみながら死んでいったんだろうな、海の底で今も大勢の死者が魂の叫びをしているに違いないとかいろんな想念が沸き起こる。
やはり死者のことを忘れずその魂を慰めることは大事だと思う。
そういう意味では国民の統合である天皇陛下が海の黙礼をされることはとても大事であり死者たちも少しだけお慰みされるのではないか。

実は今も大東亜戦争で亡くなられた戦死者の遺骨が太平洋の海底やガダルタナルなどの諸島に100万体以上が眠っている事実は御存知だろうか。
やる気のない厚生省は遺骨収集事業をやめたのである。一部の有志が細々と遺骨収集をしているのである。
激戦地の一つであるサイパン島にも多くの遺骨が眠っているのである。
このサイパン島を訪れた天皇皇后両陛下はここのバンザイクリフという崖のすぐそばでも海の黙礼をして死者を慰めてくれたのである。
その時つくられた皇后陛下の歌がある。

あまたなる 命の失せし 崖の下
海深くして 青く澄みたる

非常事態の時に国家の真実が表れるという言葉があるが、大震災に際して天皇皇后両陛下の圧倒的な存在感が群を抜いてあらわれてきたようだ。
自ら自主停電をされ侍従からお体に触るのでないですかといわれると、「寒かったら少し厚着をして過ごせばよい。」といい、
那須野御用邸を被災者のために一部開放し、お風呂や食事でもてなすというご配慮もすごい。
さらに用意したタオル3000枚の袋詰め作業は秋篠宮妃殿下も手伝ってくださった。
海での黙礼の時も小雨のなか長い時間黙礼してくれたのだ。
被災所では、日の丸君が代に反対した総理大臣・寒総理のように2人3人のみに声をかけて足早に帰るという非礼ではなく
体育館の全員とひざ詰めで被災民の苦しみを聞いてあげるという優しさなのである。
海の黙礼といい、この限りなく深い国民への思いといい頭の下がる気持である。

これほどの国難に見舞われ、まだ原発事故も収束しない日本に対して、世界はそれでも日本は復活すると考えている。
円の力は弱まるどころかますます威力を発揮しているかのようだ。
この力の源泉はどこからきているのだろうか、日本の技術力か?それもあるだろう。しかし私はやはり天皇陛下のご存在に尽きるのではないかと考える。
陛下という重しがあるからこそ国民の力が結集しどんな国難をも乗り越えてしまう。
大東亜戦争という超国難の時、昭和天皇は約8年をかけて全国を慰問されその数は1400か所に及んだ。
当初GHQにより禁止されていた日の丸を、ある少年たちが画用紙に書いて警察の制止を振り切って天皇陛下をお迎えするや、次々と日の丸の旗が街にひらめいた。そこからは日の丸は禁止にもかかわらず事実上の黙認状態となり慣例となってしまう。この少年たちもある意味英雄か?
この8年に及ぶ御幸により国民は頑張ろうという気持ちになり、経済大国への道を驀進することになったのである。

この事実を世界は知っているのである。
大事なことは復興が成し遂げられた後でも、死者への慰霊を忘れない心である。
そして天皇陛下という日本の統合を具現化されている畏れ多いご存在に対して、より敬意を払い忠誠心を持って生きることである。
天皇陛下が大悲の心を持って死者への慰霊の旅をされていることに深い感動をするとともに、日本人が忘れてしまった海ゆかばの精神、すなわち自己犠牲の心を取り戻そう。
復興の原点はそこにあるのではないか、そんな風に思う今日この頃である。

*5月27日、すなわち海軍記念日の日に記す。

つたない文章を最後まで読んでくれてありがとう。


スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://esconsul.blog66.fc2.com/tb.php/215-9156c5f8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

斎藤良一

Author:斎藤良一
E-mail:info@estate-consultant.



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



アクセスキーワード(上位5件)



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。