FC2ブログ
良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

樺太はるかなり
A.jpg 樺太の高山植物・チシマギキョウ

高山植物B 樺太の高山植物・チシマキンバイ

先日お会いした地権者さんはおばあさんでしたが、土地の話が終わった後、おばあさんの生まれ故郷である樺太の話になりました。
とても美しいところで楽しかった話をたくさんされました。
そこは樺太の東海岸の、近幌(ちかほろ)という駅のある小さな町でした。
敷香町と大泊町の中間辺りでしょうか。
パルプ産業で栄えた町らしく、おばあさんの家はその近幌駅のまん前にあった末広旅館を営んでいたのです。

冬は厳しく零下25度以下の日もあったそうです。子供たちは誰もがスキーが得意で休みの日は朝から暗くなるまでスキーをしていたそうです。
雪がすごく積もり時々ふざけて一列になっていっせいに後ろ向きにバタンと倒れる遊びをしたそうです。すると全員の体のあとが完全に雪に残りげらげら笑いあったことを思い出すそうです。
近くには「突岨山」という標高700m位の素晴らしい山があったそうです。ここにも登りスキーをしたそうですが、何しろリフトがあるわけではありませんので、歩いて途中まで登り、そこから滑ってきたそうです。

しかし、突岨山はスキーだけでなく春や夏が素晴らしかったらしいのです。
この写真のような美しい高山植物が生い茂り、まさしくこの世の楽園のようだったとおっしゃいます。
ところが実際に歩くとツンドラ地帯であり、湿原状態な訳ですからずぶずぶと足が入り、そこをがんばって歩き続けお花畑に出会うのだそうです。
とりわけ山頂から見える太平洋は絶景だったそうです。

ところがこんなに楽しく遊んでいた小学校4年生の夏、恐るべき悲劇が襲いました。
昭和20年8月15日、突如、ソ連軍が不法侵略してきたのです。
恐るべき戦車部隊の音で人々は恐怖におののきました。
しかも小さな町・近幌には日本軍はいなかったため瞬く間に占領されてしまいました。
とりわけおばあさんの家は駅前の旅館という一番大きな家でしたので、部隊の司令官たち幹部の宿舎にされてしまいました。
ただ不幸中の幸いだったのは、しっかりした司令官だったためこの町の治安は割合よく、他の満州のような悲劇はなかったそうです。
しかしそれでも横暴なソ連軍の振る舞いに耐えやっと3年後に日本に帰ってこれたそうです。

しかし我々日本人としては、国際法違反のソ連の不法侵略を認めてはならないと思うのです。
現在においても、千島列島も南樺太も日本の領土であることには変わりありません。
近幌では戦闘はありませんでしたが、真岡の悲劇や、真岡と豊原の間に位置する熊笹峠では、日本軍とソ連軍との間で激しい戦闘がありました。
この日本軍人の玉砕戦というがんばりのおかげで北海道が無事だったということもいえます。
しかも戦後、熊笹峠で死んだおびただしい数の日本軍人の遺骨は全く収集されていません。
やる気のない厚生省が遺骨収集を全くしていないのです。する気もないようです。
「こども手当て」で頭がいっぱいなんでしょうか。死んだ人はどうでもいいんでしょうか。

今でも樺太に行ってみたい。近幌に行って突岨山の美しい高山植物を見てみたいといっているおばあさん。
樺太、近幌、そして突岨山はるかなり。
しかし我々日本人は決して忘れてはならないのです。それは樺太の美しい風景だけでなく、ソ連軍の不法占領のことを、戦って散った日本軍人の心意気を。

樺太高山植物1ルビナス 樺太の高山植物・ルビナス

からふと2



スポンサーサイト

【2010/07/17 09:01】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp


プロフィール

斎藤良一

Author:斎藤良一
E-mail:info@estate-consultant.



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



アクセスキーワード(上位5件)



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。