土曜日に津波警報のニュースが流れていた。今回は津波は小さくて何の災害も無くて良かった。しかし、日本には時々恐ろしいほどの津波が襲ってきたことを記憶しておくべきでしょう。岩沼の地権者さんには、昭和初期の津波のことや戦後のチリ地震での津波の話を聞いたことがあります。仙台バイパスの近くには、津波の記憶を刻んでいる波分神社があります。また本で知ったのでは、明治29年の三陸大津波があります。最大到達点が38mの地点もあり、数万人の死者を出したそうです。さらに名取の地権者さんに聞いた話では、大昔に貞観津波という巨大津波が名取を襲ったという古記録が清水峰神社にあるそうです。このように時々ではありますが巨大津波はあったのです。今日は津波にまつわる話を紹介していきましょう。
私の母親は戦前の尋常小学校を出ていますが、その小学校5年生の国語の時間に習った小説の話を聞いたことがあります。「稲むらの火」という小説でとてもいい話だったので後で読んだのですが、要旨は次のようなものです。「海辺の高台に住む五兵衛はゆっくり揺れる地震の後に何気なく海を眺めます。すると波が沖へ沖へと動いて海岸には砂原や黒い岩底が現れます。五兵衛は、津波がやってくる。と確信します。おじいさんから聞いていた波が沖へ引いていくという現象そのものだったからです。大変だと思い村人たちへ津波がやってくると知らせますが、誰も信じず家から出て来ません。そこで五兵衛は自分の田んぼに収穫し束にしていたすべての稲むらに火をつけます。村人を救うためなら稲がもったいないなどといってる場合ではないと判断したのです。火事だと勘違いした村人たちは山の上を目指して走り出しました。村人が全員山の上に避難した直後、巨大津波が村を飲み込みます。一同は波に抉り取られて跡形もなくなった村ををただあきれて眺めていました。稲むらの火は風にあおられて燃え上がり夕闇に包まれたあたりを明るくしていた。初めて我に返った村人たちはこの稲むらの火によって救われたのだと気がつき、無言のまま五兵衛の前にひざまづいていた。」
この話は江戸時代末期に和歌山県で起きた実話を基に、子供用に作った物語です。作者は小泉八雲(ラフカディヲ・ハーン)。作者が外国人であったため、この美しい小説は日本だけでなくアメリカやヨーロッパの各国語に訳されて今も外国の子供たちが習っているそうです。しかしなぜか戦後の日本では、津波の危機管理にも役に立ち、しかも世界にも誇れるこの美しい小説を教科書から消してしまったようです。どうしてなんだろう。
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