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良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
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地図の絵葉書

鳴瀬川 

財団法人日本地図センターで発行しているものに「地図中心」という雑誌がある。
この雑誌の巻末に「絵葉書の地図コレクション」というコラムがあった。
絵葉書は普通、美しい風景や動物植物などの絵が多いと思うのだが、なんと地図が載っていたのである。
しかも地図と言っても、川の合流改修工事の平面図である。土木工事の合流平面図が絵葉書に載るというのはおもしろいし珍しいなと思ったので今日はこの話を書くことにしよう。

上の写真がこの絵葉書なのだが、右上の人物は大正時代の濱田宮城県知事である。
地図に表現されているのは、現大崎市方面を流れる鳴瀬川、江合川とこの二つの川をつなぐ「新江合川」である。吉田川も見える。
大正時代にこの地域は洪水が多く地区住民の悩みの種であった。そこで国と県は「江合川・鳴瀬川合流改修工事」を実施し、新江合川を開削し、また鳴瀬川の逆流による品井沼沿岸の水害を除くための吉田川改修など、この地域一帯の水害を防ぐための大土木工事が行われた。

この工事は大正時代から昭和初期まで続けられたのだが、この絵葉書は大正6年の起工式を記念して宮城県が作ったものだ。
この絵葉書から読み取れるのは、いかに先人たちは水害に悩まされ苦しんでいたかがわかる。そして国や県の予算がつき大正6年の4月29日の工事起工式を迎えたのだ。
そのときの喜びや期待感が表れている絵葉書である。そうでなければ絵葉書に川の合流平面図まで載せることはありえない。
日本は米を作ってきた民族であり、そのための治山・治水事業を延々と続けてきた民族である。

私の先生は米沢出身なのだが、以前先生に聞いた治水事業の話に興味を持った。
今年の大河ドラマの主人公である、直江兼続が米沢に転封されてから、街づくりを行ったが、一番力を入れたのが、治水事業だったという。
そのため川の改修工事や護岸工事が大規模に行われた。それは現在においても一部残っており、「直江堤」という名で呼ばれているという。
日本において偉大な統治者は、例外なく治山・治水に力を入れる。
武田信玄公の「信玄堤」しかり、徳川歴代の将軍たちによる「利根川改修工事」しかり、平清盛、織田信長、豊臣秀吉、上杉謙信みんなそうである。
それは日本の独特の地形、雨が異常に多いという特殊な気候を十分に知っていたからである。

大崎市の水害対策に関して言えば、少し残念なことを言えば、上の新江合川が洪水を止めたというよりも抜本的には昭和32年の鳴子ダムが出来て水害が極端に少なくなったというのが正解である。
しかしながら地図の絵葉書からは、先人たちの水害対策への並々ならぬ情熱というものが伝わってくるのではないだろうか。


私の本業のホームページ 不動産法コンサル・サロン http://www.estate-consultant.jp

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【2009/11/14 09:17】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp


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