良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
山津波
栗駒地方で起きた地震は、かなり大規模な被害をもたらしているようだ。たまたまこの地区の住民の少なさと朝早くだったため行楽地を目指す観光客もそれほどいなかったことで、死者は多くはない。
しかしテレビで見ていても驚くほどの被害ではないだろうか。
道路の崩れ方、かなりの数の堰止湖の出現などでもわかる。震度とかマグニチュードと違う単位で地震学者が解説をしていた。
なんでも「ガル」とかいう振れ方を示す数字で言うと、な、なんと、新潟大地震や阪神大震災よりも巨大なのだと言う。え、えー??
ところがテレビはある驚くべき光景を移していた。道路の位置が300mもずれているのだ。
道路が300mも空を飛んできたのか?
山の崩落も激しすぎる。何かおかしい。
マスコミの表現は「山の崩落」「山崩れ」などと言っているが、これらの言葉と、テレビの現場のすさまじさが何か違うのである。違和感があるのである。

ところがたまたま読んでいた地図関係の本の中に、驚くべき言葉があったのである。「山津波」
今回の地震後に栗駒地方で起きたのは、山津波だったのではないのか。
山津波で有名な地震は、「善光寺地震」だという。大規模な山崩れのあとに堰き止められた水があふれて津波を起こしさらに山を連続的に崩落させる恐るべき災害なのだと言う。山津波、恐ろしい言葉である。そしてリアルである。
それにしても地震予知に何兆円を使ってきたお役所と言うのはどういうもんなんですかね。あのときも地震が起きた後に速報で流れたりして、何の意味もないじゃん。前日の夕方、私の回りでも何人もが「地震雲」を見たという。それから夕方、畑仕事をしていた人は、ものすごい数の蟻が地中から這い出てきて驚いたと言う。
やはり蟻さんやモグラさんのほうが偉いのかもしれない。何兆円も使ってないし。

それと残念なのは、栗駒地方に伝わる「正藍染」が壊滅的な打撃を受けたことである。さらには有名な秘湯もしばらくは復活が危ぶまれている。
それよりなにより、堰止湖が梅雨前線の停滞などによって決壊する可能性も出ていることが心配である。
やはり日本と言う国は、地震、津波、台風、土石流、雪害、等自然災害が多い国だと言うことを知ることが大事なのかもしれない。すなわち国の根本は「治山、治水」であるということだ。ガソリンも大事だが、やっぱり「治山、治水」だったのである。

*きょう、6月23日は沖縄戦敗戦の日である。日本を守ろうと盾になって闘った戦死者に感謝と哀悼の意を表する日なのである。
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【2008/06/23 22:02】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
塩釜

先日、今話題の映画「築地魚河岸三代目」を見てきた。大沢たかおが好演していた。
しかし、私は、劇場で買ったパンフレットのある地名に非常に興味を覚えた。ある役者さんは築地の南側の新富町(しんとみちょう)と言うところで生まれたらしく、それゆえ築地に慣れ親しんでいたとそれには書いている。
この新富町は、塩釜にもある。やはり塩釜魚市場の港を挟んだマリンゲートの南側にあるのだ。
同じ地名が、しかも築地と塩釜と言う有名な魚市場の近くにあるので興味を覚えてしまった。

築地と塩釜、両方日本の代表的な魚市場である。築地は現在でも立地が東京の銀座などにも近く繁栄している。一方塩釜は魚市場は相変わらず元気が良いが、町全体としては少し活気が無い。
しかし、先日新聞で塩釜の昔の特集をやっていたが、驚いた。なんと、「塩釜鉄道」があったというのだ。
明治初期に東北本線が開通したが、当初は塩釜までしかなかったとのこと。この塩釜駅(現在の本塩釜駅のすぐ東側部分にあった)から、さらに塩釜港駅(現在のマリンゲート)をとおり、塩釜埠頭駅まで鉄道があったと言うのだ。さらにこの塩釜港駅から港に沿った形で北上し塩釜魚市場まで行く支線もあったという。

すごい、塩釜。塩釜港には魚市場だけでなく、現在においても、セメント会社や石油会社などたくさんの工場があり、物流の拠点として遺憾なく発揮されている。
しかしながら、仙台新港ができ、東北の物流の拠点が塩釜から仙台に移るに従い自然と「塩釜の栄華」の時代は傾いていった。商店街もかつての勢いは無くどことなくさびしい。
だけど、塩釜には魚市場だけでなくもう一つの偉大な施設がある。塩釜神社である。ここの権禰宜とは知り合いで時々寄ってお話をするのだが、魅力的な神社である。なんでも創立年は謎らしく今でもわかってないとのこと。不思議である。塩釜神社を勉強すればするほどおもしろいのだ。塩釜神社博物館もおもしろい。江戸時代の算額等もいくつかありぜんぜん解けない。さらに日本刀ファンにはたまらない「来派」の名刀、来国光も展示している。東北有数の塩釜神社もさることながら、実はもう一つ塩釜には魅力的なスポットがあると思う。
先日、浦戸諸島の一つ、野々島に建物調査に行ってきたのだが、寒風沢島とも近く風光明媚で良い感じだった。
マリンゲートからたったの30分で着く。小学校もあるようだが、こんな素敵な島なのにお店が一軒もない。
これもまた不思議である。浦戸諸島は野々島、桂島、寒風沢島などいくつかの大きな島だけでなくたくさんの無人島から成り立っている。このうち大きな島には島民が住んでいる。
塩釜は確かに物流の拠点を仙台に奪われ昔のような栄華はないだろう。だけど魚市場はあい変わらず盛況だしなんといっても歴史の時空を超えた「塩釜神社」が屹立している。そしてちょっとだけ視点を変えてみると、意外にも浦戸諸島という超素敵な島々が近くにあるのだ。こういったところもこれからの観光スポットになるのではないだろうか。疲れた熟年世代にとって、30分で島まで行って遊ぶ楽しみが見出せたなら。
そのためにも誰か島に素敵なカフェでも作ってくれないだろうか。島民も喜ぶし。浦戸諸島ってあんがいおもしろいかもしれないな。

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【2008/06/17 20:54】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
なっつぁんさん
先日会った地権者さんは名取市高館の方でした。分筆と地目変更の相談でしたが、現場で打ち合わせが終わったあとのお話ががとてもおもしろかったので今日はその話しを紹介することにしよう。

現場のすぐ傍には旧増田川が流れています。今の増田川の本流は西南のほうに移ったため、ここの旧増田川は小さな側溝程度になり、そのため増水や河川の氾濫で苦しむことはなくなったそうです。以前増田側本流が流れていたころは大変だったそうです。また旧増田川沿いには何本かの見事な欅の木がありました。その幹の太さはこの家の歴史をも象徴しているようでした。
この地区はみんな同じ苗字であり相当古くからある一族のようです。高館と言う地名が表しているように、近くには城と言うか、館があったそうです。(戦国時代のころのことか?)
この古くにあった館が発掘調査されたこともあったそうで、さまざまな種類の瓦や焼き物など当時をしのぶ遺品が多数発掘されたそうです。

高館にまつわるさまざまなお話を地権者さんは教えてくれたのですが、高館地区の守り神の話になりました。
すると傍らにいた奥様が「それは、なっつぁんさん」というではないですか。
私は良く聞き取れなくて「なっつぁん??」と聞き返すと、「なっつぁんさん、つまり、那智神社ですよ。」と答えるのです。私は「ああ、那智神社のことをなっつぁんさんっていうんですか。」と多少驚きながらも納得していた。
那智神社は名取や仙台の方であれば多くの方が知っている神社であり、那智が丘ニュータウンの南側にある由緒のある神社です。名取市外を一望できる高台にあり、元旦の日などは初日の出を拝む参拝客でにぎわうのです。ただその神社の前にある櫓のような建物に立って眺めるのが最高らしいのですが、現在はあまりにも古くて壊れそうな状態です。そのためか「危険なのでこの中には入らないように」と言う立て札まであるくらいです。
これが立派に修復されたならば、さらに「那智神社」人気が高まるのではないかとも思えます。
地権者さんがいうには本宮である和歌山県の那智神社は素晴らしいらしいです。社殿も滝も名取の那智とは比ぶべきも無いほど見事だそうです。
確かに名取の那智が滝は高さがたったの4mぐらいであり、本宮を知ってる人がこの名取の滝を見たならば、ぷっと笑ってしまうかもしれません。
だけど、名取の人たちが、親愛の情をこめて「なっつぁんさん」と呼んでいるところに神様と住民との深い関係が表れているようにも感じられるのです。大きさじゃないって。でも和歌山の那智神社の本殿を見てみたいっす。

*きょう6月5日は、ミッドウェイ海戦で日本海軍が大敗北を喫した日です。戦後60数年たった今でも、数千人の「水漬く屍」が故国日本を遠く離れたミッドウェイの深海に眠っているのです。

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【2008/06/05 21:50】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp