良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
愛宕山にて

先日、向山にある愛宕神社に行ってきた。宮司さんからさまざまな碑などを教えていただきながら見てきたのでとても楽しかった。きょうは愛宕神社の話しをすることにしよう。
宮司さんとは境界立会いを縁に知り合いになり、愛宕神社にある明治16年に埋設された「経緯度測点」があるので見に来てくださいと以前から言われていたのである。
この経緯度測点は明治時代に地図測量のために設置されたものと思われるのですが、通常の三角点とは大きさがぜんぜん違うんです。高さが1.4mぐらい、縦×横が0.6m×0.4mぐらいの角柱と言ったところでしょうか。明治16年11月と刻まれています。さらには内務省、地理局と別の面に刻まれています。
当時の位置から南側に数メートル移動しているとのこと。宮司さんによれば元の位置からは、太平洋も望めたとのこと。それにしても通常の三角点とも違う感じがするし、いったいこの「経緯度測点」とはなんなのだろう。
ちょうど明治19年に仙台地区の地租改正に伴う公図つくりが行われているが、いくらなんでもこの公図とは関係ないだろう。第二師団が「迅速測図」の仙台版を明治時代に作っているけど、彫ってる字が内務省とあるからこれも関係ないだろう。結局わからず・・・
他にもおもしろいものがたくさんありました。日本最大の大きさを誇る大天狗、そして多少不気味な烏天狗、伊東七十郎忠魂碑もありました。国分町で生まれた詩人・石川善助と言う人の碑もありました。そういう詩人がいたなんてぜんぜん知りませんでした。
もっとおもしろかったのは「勝鬨神社(かちときのかんやしろ)」と言う小さな神社です。
この御神体はもともとは矢本町のお医者さんが祭っていたものでいろいろな経緯があり、現在は愛宕神社でお祭りをしているのです。勝利の神様ですよ。武神、優勝の神、馬術の神、水泳の神、狩猟の神、競艇の神、体育の神・・・、総じて体育系のそれも勝利を祈る神様なようです。
今年、楽天もベガルタも調子良いですが、ひょっとして野村監督などが愛宕神社にきてこの勝鬨神社に祈っていたんじゃないだろうか。オリンピックの水泳陣も水着がどうのうこうのだけでなく、ここの勝鬨神社に来たほうがいいのではないだろうか。絵馬にはいろいろな勝利の願い事が書いてあったけど、なかには「ロト6で高額が出ますように。」とあったのには笑えた
しかし、愛宕神社って伊達政宗の仙台開府とともにできたんですね。かつては米沢にあった。その後岩出山に移り、荒巻に仮遷座し最終的にここに御遷座したようです。中心の神様はなぜか「火の神様」。
ここの敷地にはもう一つの碑がありました。それが「軍艦愛宕慰霊碑」、名前が同じ愛宕と言うことから、ご遺族が愛宕会を結成しこの碑が作られたようです。裏側には戦死者たちの名前が刻み込まれていました。フィリピンのパラワン水道付近で撃沈したのか。
宮司さんは愛宕神社の本宮が京都の愛宕山にあることを教えてくれました。その愛宕神社の末社として米沢に造られ、そして岩出山、仙台と移って来たのです。そしてその本宮のある京都の舞鶴を母港とする巡洋艦ゆえに、その軍艦の名称を「愛宕」にしたのではないかともおっしゃっていました。なるほど、京都・米沢・岩出山・仙台、が愛宕と言うラインでつながっていたんですね。



私の本業のホームページ 不動産法コンサル・サロン http://www.estate-consultant.jp
【2008/05/25 15:15】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
雷鳥の雛が生まれる

ある地権者さんと土地の境界のことで打ち合わせを続けていた。その話が終わってお茶をご馳走になりながら、その地権者さんがかつて電信電話局(現NTT)に勤めていたころの話をうかがった。八戸、青森など東北各地に転勤しながら勤められたときのおもしろいエピソードを聞いた。電報の話になり、モールス信号のことや電信を発明したイタリアの科学者のこと、あるいは日露戦争のときの電信、戦前の満州での電信のことなどおもしろい話をたくさん伺った。

さらには、現在においては緊急電報と言うものはなくなったが、電報の課はあり結婚式等の慶事電報は結構多いのだと言う。隣でそれまで黙って聞いていた奥様が思い出すようにある電報の話をされた。

それは、地権者さん夫婦の息子さんが大学4年生のときのこと。息子さんは富山県の大企業への就職を希望し会社回りをしていた。そして早い段階で息子さんは、希望の企業への就職内定を得たのだ。東京の大学に通う息子さんから電話ではなくなんと電報が来たと言う。

そこには次のような文字があった。

「雷鳥の雛が生まれる」

雷鳥とは富山県の県鳥である。その富山県で雛すなわち新入社員が生まれる。と言う比喩である。地権者さん夫婦は、その電報の意味するところを即座に理解し、そして喜んだ。不思議なことに電話よりも強い感動を覚えたと言う。よく大学入学などでも「桜咲く」とか、直接的な表現でなく、こういう比喩をよく使うが、これは我々日本人の特質なのか、いづれにしても、この息子さんもとても素晴らしい表現力だなと思った。

それだけではなく就職内定の場合、あまりおおっぴらに「○○社に内定決定、やっほー」と書いてはまずいため。と言うのもあるのだろう。そのときの素晴らしい電報はもちろん今でも大事にしまってあるとのことでした。

*きょう、5月15日、すなわち5・15事件があった日です。国を憂いて青年将校たちが決起した日です。当時、世界中にこのニュースが電報などの電信で駆け回ったことであろう。

私の本業のホームページ 不動産法コンサル・サロン http://www.estate-consultant.jp


【2008/05/15 23:18】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
香時計

先日、名掛丁にある三瀧山不動尊にいってきた。こんな町の中の一角に細長く奥まっていて、その一番奥に本尊があり、さらには十二支の神々が鎮座していておもしろかった。この空間をものめづらしげに見ている間にも、大勢の方が参拝して、自分の干支のところで線香をあげ、真剣にお祈りしている姿に打たれた。
この不動尊は奥行きはあるが幅が異様に狭いためか、よけいに線香の匂いが強い感じがした。この線香の匂いにつられてか、帰りに不動尊の手前のお店で「お香」を買った。いろいろなお香の匂いをかぐことができ、私は「マウンテン・ブレス」と言うお香が一番気に入ったのでこれを買った。
ところが数日後、テレビで長町のあるお店を紹介する番組をやっていた。このお店では古い道具がいろいろあり、その中の一つに「香時計」というものがあった。なんと「お香」をたいて時間を表すと言う。ところどころに時刻の表示があり,まさしく時計なのだと言う。
お香は良い香りを出すだけでなく、一定の燃焼時間で進んでいくためこのような時計としての利用方法が古代から採用されてきたらしい。なぜなら原始のときから採用されてきた時計は「日時計」だがこれは欠点がある。
夜が計れないからだ。その点、香時計は夜でも計れるし便利である。ただ温度や湿度によって変化するから誤差は大きいだろう。だけど昔はそれでも十分だったんだろう。今のように忙しくないし。
実際、この香時計は今でも二月堂のお水取りなどで使われているようだ。
私は沖縄の首里城に行った時、やはり興味を覚えたのが「漏刻の門」である。漏刻すなわち水時計というものも城やお寺などでかつては使われていたようだ。飛鳥水落遺跡などが時計としての役割をしていたと聞く。沖縄の漏刻は今は無く、ただ名前だけの漏刻の門として残っているだけなのが惜しい。
漏刻はかなり大規模な設備でありそれなりに権威のあるところでしか使われなかっただろうと思われる。その点、香時計は手軽で庶民的だ。おおよその時間はわかるわけだから。
それ以外にもテレビではおもしろい時計を紹介していた。花時計があることも教えてくれた。朝6時に咲く花、7時に咲く花、8時に咲く花・・・・、夕方5時に咲く花、こういった違った時間に咲く花を並べておき、やはり時計にしていると言う。驚きだ。我々は機械式時計の進化した形である腕時計をし、さらに進化したクオーツ時計をし、さらには電波時計と言う精度がめちゃくちゃ良いものを発明し使用している。現代と言う一分一秒を忙しく仕事をしている我々としては、やはり精度の高い機械式時計、クオーツ時計、等が必要なのかもしれない。
しかしながら、その結果として時間に追いまくられ、時間に支配されている自分を感ずるときもある。
ここから逃れることはできないけれど、時間がゆったりとしていた大昔の人々は結構楽しかったんじゃないかと夢想することもある。例えば江戸時代などは24時間ではなく12刻で一日を刻んでいたようだ。
「黄昏時の 暮れ六つに 三越前で」 なんてゆったりしていておしゃれなんだろう。
香時計はそんなゆったりしてた古き良き日本の美意識にぴったりの小道具なのではないだろうか。

私の本業のホームページ 不動産法コンサル・サロン http://www.estate-consultant.jp


【2008/05/09 22:18】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp