良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
人間GPS

先日、友人との話がおもしろかったので今日はその話しを紹介することにしよう。話の内容はある町で漁業を営む彼の義理の父のことである。そのお父さんは沿海漁業をしているが、あんなに広い海なのに、位置がわかるのだという。「久六島から2kmこっちの方角へ来た位置ではたこが取れる岩礁がある。」等のように位置が正確にわかり、そのたこが取れる場所などは誰にも教えないらしいのだ。
まさしくこのお父さんは、何の機械も使わずに長年の勘で、「位置」がわかる。すなわちお父さんは、「人間GPS」なのである。GPSは皆さんもご存知のように、位置を正確に知ることのできる超便利な機械である。GPS衛星から発信される電波を受信機が取らえて位置を知るのだが、現在では車のカーナビや携帯電話にまで付いている。また、釣り人や山歩きの人が持つハンディーGPS、船にも必ずといって良いぐらい付いており、海上事故の防止に役立っている。我々測量関係者が持つGPS測量機器は超高精度のものであり金額もとても高い。
もともとGPSはアメリカ軍が戦争勝利のために考えたものであり、アメリカ海軍の要請で打ち上げられた軍事衛星なのである。なぜかこの衛星情報を解放しているため我々外国の一般人もGPSの恩恵を受けている。この衛星からの受信により、現在いる位置の正確な緯度・経度がわかり、まさしく海や山で遭難した場合などは威力を発揮する優れものである。
ところが先ほどのお父さんは、船にGPSは付いていないのに正確に位置がわかる。勘だけで。
あるエピソードがおもしろい。海上でそろそろ帰ろうと思って錨をあげたら錨のロープが切れてしまい、大事な錨が海の底に沈んでしまった。もぐって採ってこようとお父さんは思ったらしいのだが、風雨が強まってきたので、錨はあきらめていったん家に帰ったという。そして次の日、嵐も去った後に、なんと昨日いた場所に船を止め、その周辺の海の底を探ることにしたという。ほとんどピッタリの位置で例の「錨」を見つけ船に戻ることに成功した。お父さんにとっては何の造作も無く当たり前のようにして。勘といったけど、測量的に言えば、これは「後方交会方」という方法で同じ場所を見つける方法なのである。GPSの出現の前も船乗りたちは沿岸においてこの方法でおおよその位置を知ることができた。例えば久六島と○○と結んだライン上、さらに△と□のライン上、この二つのラインの交点が先ほどの位置である。ということを認識していれば、その位置を見つけ同じ位置にいける方法、これが「後方交会方」である。しかしお父さんはそういう理屈でじゃなくて、体でこの海域の位置がわかっているような気がする。なぜかといえば子供のときからこの海域で船乗りをしており何もかもが体にインプットされているのだ。「久六島から2km東に行った所の岩礁ではたこが取れんのさ」 こういうことが完璧にわかっている。なぜわかるのか。ただ数字的にわかっているというよりも、子供のころからこの海を自分の庭として生きてきたからに他ならない。すなわちここの海を深く愛しているからわかるのである。この人間GPSは本当にすごすぎる父ちゃんだ。

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【2007/09/30 17:25】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
刀折れ矢尽きて

安倍前総理の辞任劇は衝撃的だったが、それにしてもむごかったのは、マスコミとマスコミ取り巻きのコメンテーターであった。精神的にも肉体的にもぼろぼろの状態の「敗軍の将」である安倍前総理に対し、これでもか、というぐらいに、意地悪な質問をし、コメンテーターは小ばかにし、徹底的にこき下ろす。
ところがそんな中で、ただ一人、胸にずしんと来る言葉を吐く人がいた。野中広務氏である。
野中氏は「刀折れ矢尽きて万策尽きたんでしょうな。」と同情の念を表明し敗軍の将をねぎらった。決して演技で言ってるとは思えない。胸に突き刺さる言葉だった。
野中氏といえば、政策的にも思想的にも対中国関係についても、歴史観においても、すべてが安倍前総理と真逆だったし敵でもあった。野中氏は橋本派を継承し、郵政利権や道路利権などほとんどの利権を手中に収め、権力の中枢に隠然たる勢力を誇ってきた。ある時点では、小沢一郎氏と熾烈な権力闘争を繰り広げた。かろうじて権力を守った野中氏は、今度は小泉純一郎氏との壮絶な死闘に破れ政治から身を引いた。ここで勝利した小泉氏の改革路線を継承したのが安倍前総理である。当然ここ半年の異常とも言えるマスコミによる安倍たたきは、これら一時敗北した勢力による陰謀もあるかもしれない。なぜなら事務所費問題などの細かいことまで逐一マスコミが知るはずが無いからである。誰かからのリークであろう。
しかしそういったことはさておいて、敗北を認め潔く辞任をすると発表した後の、人としての処し方の問題である。
最大の敵であった野中氏は「刀折れ矢尽きて・・・」と表現した。それはかつての自分の姿であったのだ。思想はさておきこの野中氏の態度は立派だと思った。
極端に痩せ目はうつろになっている前総理に対し、さらに追い討ちをかけるマスコミの異常性を見てしまった。某半島には古来から恐るべきことわざがある。「水に落ちた犬は棒でたたいて沈めてしまえ。」 まさしく現在の日本のマスコミ人は、はしゃぐことと、落ちた人を徹底的に叩くことしか眼中には無いのだろう。
日露戦争当時、乃木大将は敗軍の将、ステッセル将軍を「敗北を認めてサインしたことで十分である。これ以上の侮辱を与えてはならない。」といいはなち、新聞記者の求める写真には相並らんで撮影に臨んだのである。さすがである。
安倍前総理は短かったが素晴らしい政策を次々と実行した。そのうちの一つが史上最大の悪法との噂もある「人権擁護法案」を廃案に追い込んだことである。刀をぼろぼろにしながらこの法案を阻止し、矢がなくなりかけながらも北朝鮮への経済制裁を強めていったのである。
むしろ安倍前総理の最大の不幸は、敵の矢を体で受け止めてくれる絶対的な味方に恵まれなかったことかもしれない。権力闘争に敗れた源義経を最後まで守った佐藤兄弟や弁慶のような人が。
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【2007/09/27 21:47】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
お彼岸と虫の音

お彼岸に墓参りをしてきました。お彼岸って言う言葉の響きがなんか良い。ところであんなに暑くてうだるような夏がいつの間にか、お彼岸ですからね。早いな。早すぎる。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を激しく実感する日々です。このお彼岸が近づくと虫の音が騒がしくなり、お彼岸を過ぎると虫の音がだんだんと静かになる。これもおもしろいですね。この虫の音に対する日本人の感覚もおもしろい気がする。
先ほど虫の音が聞こえるころになると、「あれ、お彼岸が近づいているのかな」と思ってしまう日本人の感性について話しましたが、そうなんですよね。日本人って言うのは、「虫の音に聴きいる文化」を持っている世界にもまれな民族なんですよね。
「リン リン」 「チンチロリン」 「スイーッチョン」・・・
外国人は虫の音を雑音や機械音として聴く。つまり騒がしい騒音として右脳で受け止めてしまいます。ところが日本人は虫の音を聴き入り擬音化してしまう。日本人は虫の音を左脳、すなわち言語脳で受け止めるからなんだそうです。こういった脳構造を示すのは、日本人とミクロネシア人だけだそうです。やはり日本人のやさしさっていうのはこういうところにも表れているんだな。
虫であっても「生きとし生けるもの」への共感を持っているという感覚が。
お彼岸は虫以外にももう一つの特徴を持ち、我々日本人にある情緒をもたらしますね。お彼岸って春分の日、秋分の日といい、ちょうど昼と夜の時間が同じになる日です。それは太陽が真東から出て、真西に沈む日でもあります。この真西に沈む日であることから仏教的な「西方浄土」すなわちお彼岸って言われたんだろうと思います。この昼と夜の時間が同じになったということから、我々は「夏は終わったんだ」という感慨にふけるわけですね。
しかし、古代の暦法を調べると「春秋暦」であったというのも驚きです。春秋暦とは、春分の日から始まり、秋分の日の前の日までで一年とし、秋分の日から春分の日の前の日までで一年。すなわち今の一年を過ぎると二年、年をすごすことになるというものらしいです。
だから日本書紀などに出てくる天皇の年齢も125歳とか不思議な年齢になってますが、この春秋暦で考えれば謎が解けることになります。半分にすれば良いわけですから。
いずれにしても古代から、このお彼岸の日、すなわち昼と夜の長さが同じの日って言うのは超重要だったようです。
日本人はかつてお彼岸を軸に日を数えていた。日本人の情緒もお彼岸で季節をとらえていた。特に秋のお彼岸は虫の音が騒々しく鳴き、そしていつのまにか聞こえなくなり秋が深まることから。
家に帰るところの雑草からも、まもなく虫の音が聞こえなくなってくるのであろう。
芭蕉の句にこういうものがある。 「この道や 行く人なしに 秋の暮れ」

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【2007/09/24 12:15】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
微妙な気持ち

夕べ、友達のSのところに行ったら「いいもの見せっか?」といいながら、でかいラジコンを見せられた。大きさが1mはあろうかというしろものだ。しかも、それは飛行機で、ドイツのメッサーシュミットではないか?それから二人で当時のドイツ軍の飛行機のエンジンの話などで盛り上がった。
しかし今日の話題はドイツのことではない。先日深夜番組で特集をやっていた、「ボーイング社の最新鋭旅客機B−787」のことである。素晴らしい最新鋭機で近じか就航するらしいのだが、なんとこの最新鋭機の約35%が日本製らしいのだ。とりわけ主翼が三菱重工業で作り最先端の材料を使った革新的な設計だという。素直にうれしい気持ちだ。
だが、まてよボーイング社だよ。俺たちの日本を、民間人を問わずに殺しまくり、日本全土を廃墟にしたB−29のボーイング社だよ。あのエノラ・ゲイ号もB−29だ。だから戦後日本航空もある時期まではさすがにボーイング社の機体導入を見送っていたという。まともな日本人の感覚も残っていたのだ。
ただ地獄の閻魔号ともいえるB−29開発物語を知ると、やはり日本軍機の製造の甘さを痛感してしまう。B−29はすごいの一言だ。なにがっていうと「失敗から学び、刻一刻と積み上げていく執念深さが」すごいのだ。対する日本は、緒戦の零戦の勝利に酔っていたわけではないだろうが、積み上げていく合理性がいまいちだ。例えば奇跡のエンジンといわれる「誉」にしてもあまりにも天才エンジニア中川良一氏にたよりすぎだった。命令する海軍も最終的な戦略が描けず、たくさんの機種、エンジンを作り目標が散漫すぎた。一方ボーイング社は失敗を繰り替えしながらもチームで少しずつ馬力を上げていき、最終的なプロジェクトに近づいていく。エンジンも単一に絞り大量生産に備えた。当初日本の「誉」と同じぐらいの馬力しかなかったB−29のエンジンもターボチャージャーを利用し1.5倍にまで引き上げていた。さらに照準機も敵を捉えると、自動的に弾道計算し発砲するというすごすぎる迎撃システムをも備えていた。アメリカってすべてが合理的なんだな。悔しいけどあっぱれだ。
そんなボーイング社の最先端旅客機の相当部分が日本製になり就航するそうだ。うれしい反面、なんか微妙な気持ちだ。できれば国産ですべて作ってほしい。旅客機も戦闘機も爆撃機も。

ところで、最初にメッサーシュミットのラジコンを完成し喜んでいた友人のSの話をしたけど、彼のおじいさんとは、戦前、天才エンジニア中川良一氏が奇跡のエンジン「誉」を格闘しながら作っていた中島飛行機・荻窪工場の工場長をしていた人である。
零戦開発を記念し、生まれた「空の記念日」である9月20日の前日に記す。

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【2007/09/19 22:20】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
子供の名前
先日、私の姉に孫が生まれた。この場を借りておめでとうございます。ところでその女の子の名前を聞いてとても新鮮な驚きをおぼえた。名前が「ひかり」ちゃんである。シンプルでとてもいい。昔と違って若い夫婦の方々は、難しい漢字を使ったり読みづらい字を多用するのがトレンドなのだ。だからある意味「ひかり」ちゃんは、予想を裏切られ、なんかうれしいのだ。
先日ある方と子供の名前について会話が弾み「昔の人の名前ってシンプルで良いよね。男の人は男らしく重厚な名前で」ということになった。まったくそうだ。私が知っているだけでも、「源太郎、権六(ごんろく)、七平、正剛、毅、銀次郎、健次郎、平八郎、左馬太、知久平、希典(まれすけ)、茂徳、嘉兵衛・・・・」本当に重厚だ。まるで生まれた時から髭でも生やしていたような名前である。
「ひかり」ちゃん以外にも最近良い名前だなあと思ったことがある。知り合いの孫で「勇輝」君、男らしく良い感じである。また「良音(りょうと)」君。両親はともにミュージシャンである。親の音楽への思いが伝わるではないか。子供の名前というのはとても大事なのだ。親の思いがそのまま伝わっているからだ。
私の友人で拓(ひらく)という人がいる。名前の由来を聞いて感動した。彼の両親は開拓団としてある山(現在は宅地だが)に入り開墾し、水を引き、苦労して戦後の混乱期を切り開いてきた。その開拓の苦労していた最中に生まれたのが、拓(ひらく)君である。まさに両親の開拓の苦労と、それを補うかのようにして生まれた拓君への思いが伝わるではないか。子供の名前はまさしく両親の子供への思いと自分たちの生き様への思い入れの結晶かもしれない。
拓君と似たようなエピソードを聞いたことがある。世界的な指揮者に小沢征爾がいる。征は板垣征四郎陸軍大将からとった名前である。爾は石原莞爾陸軍中将から取ったのである。二人は戦後的にはまさしく極悪人の扱いをされている。板垣はA級戦犯として刑死。石原は満州事変を計画したとんでもない人として。果たしてそうだろうか。小沢征爾の父親は小沢開作といい満州青年連盟の会長だった人だ。満州への情熱が人一倍強く「五族協和」を実現すべく努力した偉人である。その開作が最も尊敬していた二人の名を取って征爾とした。やはり開作の満州への思いと子供への愛情が織り成した素晴らしい名前なのだ。
いずれにしても子供の名前はとても大事だ。「モンスター」というおそろしい漫画がある。ある東欧の国で優秀な男女を集め、優秀な子供を作らせる。しかしその子供たちには名前が無い。ただただ優秀なロボットとして独裁国家に奉仕することだけが目的であるので名前が要らないという。
ところが名前が無い彼らは名前が無いゆえに自我が育たない。そこからある恐ろしい事件へと発展していく。・・・再再度言う。子供の名前は大事だ。なぜなら親の思いが凝縮しているからであり、親の願いが込められているからだ。そういう意味ではすべての人の子供の名前を評価したい。
旅立神社の神主さんが言っていた。「子供とは、神様へ供えた子のことを言う。だから素晴らしいんだ。」 至言である。「こども」ではなく、あくまで神様へ供えた「子供」が正しいらしい。
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【2007/09/11 21:23】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
20年毎のリセット

先日ニュースで、伊勢神宮の「式年遷宮」が着々と進んでいることをリポートしていた。「式年遷宮」とは、伊勢神宮の正殿が20年ごとに建て替えられることを言う。伊勢神宮は、内宮(天照大神宮)と外宮に分かれているが、たぶん両方の正殿が建て替えられるのではないかと思う。
この二つの正殿以外にも100を超える社殿があるがこれらはどうするんだろう。
驚いたのは、この建物だけが建て替えられるのだとばかり思っていたらぜんぜん違う。なんと正殿の中にあるたくさんの宝物もすべて新しいものに変えるのだという。日本刀をはじめ漆塗りの器、弓矢などの武具、真珠などの宝石類・・・・
しかも20年ごとに建て替えるといっても、その建て替えに要する期間がすごい。8年もかけるのだ。あと6年後に完成するらしい。しかしどうして20年ごとに建て替えるのだろう。20年という意味がわからないのだ。だけどえらいな、天武天皇のあたりからずうーと20年ごとに1400年間にわたって建て替えてきたんだからな。途中、応仁の乱でできなかった例外を除いては。
実は仕事柄、あることの不思議さを感じている。それは数字の「6」である。というのは仙台の街づくりは、伊達政宗の街割りによってできているが、基本的には1町=60間という街区を基本にできている。大名や旗本のような偉い人は間口が広く、足軽や町人の間口は6間を基本にしている。ただ例えば荒町商店街などは、その半分の3間を間口にしているが。すべてが6や6の倍数を基本にしている。さらに一間は6尺でありこれも「6」である。
時刻もそうだ。江戸時代は今のように24時間ではなく12刻である。一刻2時間で間に合ったのだろう。一日を昼(1)と夜(1)に分ければ2分される。さらに睡眠時間を平均8時間とするならば、これは一日24時間のちょうど3分の一である。こういったことから時刻は、2と3の公倍数6の何倍かによって表現されよう。そういう意味では12時間も24時間も納得がいく。
ここでもやはり「6」が出てくる。それなのに日本の建国の神様である天照大神を祭る伊勢神宮は6の倍数ではない「20」年毎だという。なんとなくしっくりこない。
ところが先日知り合いが60歳の還暦を迎える話で盛り上がった。還暦とは何か。もともと日本の暦は60年を一サイクルとしている。これは十干(じっかん)、十二支を交互に組み合わせ60通りの干支を表示するシステムである。この干支が60年で一回りするのだ。歴史上でも60年ごとに時代が変革するといわれる。これらを総合して考えてみると、本来は伊勢神宮も60年ごとに建て替えて「神の祭政」をすべきところだが、何しろ同じものを作るためには技術の伝承がいる。そのため60年を3で割り20年ごとにしたのではないか。人間だって20歳で成人式とかある、あれ。20歳で新人として技術を覚え、40歳で中心で働き、60歳で新人を指導するという風に。
いずれにしても素晴らしいことだ。20年ごとに神様を新しい神殿に迎えるというその発想が。
神様も人間もあらゆる制度も20年、あるいは60年という超重要な節目にリセットし、再生しなければならないのだ。
それはさておき、この日本建国の聖地である伊勢神宮の方向に向かい天皇・皇后両陛下が毎朝、かしずき祈りを捧げていることをご存知だろうか。ありがたいことである。
歌人・西行も伊勢神宮を訪れて素晴らしい歌を歌っている。
「何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
伊勢神宮とは、古代からの日本の心を20年毎の再生を繰り返しながら今に伝えている日本のふるさとだったのである。

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【2007/09/05 22:00】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp