良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
バスケットは国語である

現役のバスケットボールのコーチと飲んだことがある。彼の話がとてもおもしろかったので、今日はバスケットボールの話をしよう。

彼は、ある中学の女子バスケットボールのコーチをしている。学校の先生ではなく、学生時代に経験があることからコーチを頼まれたのだ。それほど強いチームではないが、彼にはあるバスケットボール哲学がある。そのひとつは「バスケットは数学」というものである。
すなわち、サッカーやラグビーなどでも同じだろうが、攻撃にも守備にも一定の方程式というものがあり、それを徹底反復することにより形ができるというものである。
例えば、インサイドパスやアウトサイドパスはもちろんのこと、ダミーディフェンス、ディフェンスへのスクリーンセット、フルコートプレス、ランアンドガン、スクリーンのあとのスリップスルー、ドライブによるゾーンの切り崩し、トライアングルオフェンス、ピックアンドロール・・・・
強くなればなるほどこういった作戦・戦術は多様になることだろう。こういった戦術が決まったときは美しい方程式と解のようなものが見えることだろう。そういえばバスケットでもサッカーでもコーチは小さい黒板に戦術のラインを示して指示するが、あれなどはまさしく「戦術は数学である」を示している。
彼はこの「バスケットは数学である」ということを子供たちに教え、共通の理解を得ようとしているという。

ところがもっと驚くべきは、この数学の上にさらなる哲学があるという。それが「バスケットは国語である」というものだ。国語とは物語というものらしく、戦術すなわち数学を完全にマスターした後の事かもしれないが、「5人でどういう風に攻撃し、どういう風に守備をし、5人の物語を作るのか、それを考えながらやること、これがバスケットは国語である、という意味だ。」と解説する。
具体的には、一人がある方向に動き出す、そうすると数学が発動される。別のものがサイドを上がり、もう一人がダミーとなる、など。
しかし試合は混沌状態となるためこんなに数式のようにきれいに作戦が決まるわけではない。
そこからは5人がそれぞれアイコンタクトを通して刻一刻と移り変わる状況に応じて作戦を繰り出す。これはもはや5人のイマジネーションの結晶である物語を作ることだと主張する。
『バスケットは国語である』か。話を聞いているうちに子供のころの缶けりや鬼ごっこを思い出してしまった。案外、バスケットとは5人の個性が紡ぎ出す物語なのかもしれない。


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【2007/05/30 19:29】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
科学者の蔵書

先日お会いした方はおばあさんでした。そのおばあさんの話にとても驚きそして感動したので、今日はそのときの話をすることにしましょう。

そこの家は母屋以外にいくつもの建物があり、貸家に貸している建物もありましたが、それ以外の建物には、だんなさんの膨大な書籍を置いてあるとのことでした。だんなさんはだいぶ前に亡くなったんだそうです。数個の建物に蔵書がびっしり置いてあるっていうのも尋常ではないなと思い、ある質問をしてみました。
私「それらの書籍はどういう関係の本なんですか?」するとおばあさんは「うちのは東北大学の工学部電機科で研究者として生きた人なんですよ。だからほとんどは科学関係の本ですね。私もアメリカやヨーロッパの学会などに連れて行ってもらったんですけど、そんなときでもその国の本屋や古本屋に立ち寄り、科学関係の本を買いあさったんです。その結果、こんなに本だらけになってしまって困ってるんですよ。ごみとして処分すれば良いのかわからなくて、今回の件でこれらの本も整理しようと思うんですけど。何か良い案が無いですかね。」
そこで私は神田のMという科学関係専門の古本屋を紹介した。
私「これだけ大量だし、たぶん東京から買いに来ると思いますよ。一般の人にとっては何の価値がなくても、その世界のマニアにとってはすごい価値があると思うんですよ。」
おばあさん「紹介していただきありがとうございます。ところでほんと科学者って妙だと思いますね。一日中同じ観測を飽きずにずうーとやってるんですからね。それ以外のときは書斎にこもってひたすら読書し続ける。夢中になると朝まで読んでるんですよ。それもわけのわからない記号がびっしり書いてある科学書を。いったい頭の中どうなってるのかと思ったこともありましたよ。」

私「でも東北大学の電機科といえば八木アンテナを発明した八木教授とか偉大な科学者をたくさん輩出しているじゃないですか。そこの研究者だったんですからすごいことですよ。」
おばあさん「え?八木教授をご存知なんですか。うちのは八木教授の後輩として一緒に研究生活をしていたんですよ。」
私「いや、本で読んで知ってるだけで、知り合いでもなんでもないですよ。」といいながら、あの日本を代表する科学者と一緒に研究していたと聞いただけで驚くと同時に感動してしまった。
世界に先駆け「指向性アンテナの原理」を発見した八木教授と研究者仲間たち。その遺産はその後のテレビアンテナやGPS受信機にも使われている。それらの発見も科学者たちのとんでもない研究と勉強の賜物なんだろう。あの蔵書群がそれを物語ってるような気がした。

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【2007/05/21 22:50】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
茶室のある家

先日おじゃました家は、素晴らしい庭のある家でした。右側にはかなり古いけど落ち着いた良い感じの茶室のような建物もありました。
その家のおばあさんに聞いてみると、「以前は茶室に使っていたんですけど、今では物置に使っていて、しかもぜんぜん手入れしていないから部分的には腐れかかってるんですよ。だから近じか解体するんです。もったいないくらい良い茶室だったんですけどね。」
この茶室は、築80年の年代物で、実は一番丁のKというお店の奥にあった茶室を戦前譲ってもらった物だという。一番丁は今では想像できないだろうが、お店があってその奥に自宅があり、さらにその奥に庭や茶室などがあるお屋敷を形成していた。
この茶室はとても腕の良い大工さんが建てたもので、どうしてなのかは聞かなかったが、この場所にその大工さんの手によって移築したらしいのだ。
おばあさんはさらに続ける。「あ、そうそう、古いお雛様もあの茶室に箱に入ってるわね。今度茶室を解体する前に、子供たちや孫たちがみんな来て、ま、なんていうか茶室をしのぶ会をやるんですよ。そのときあのお雛様も日の目を見るわね。」

このおばあさんは、戦後の昭和21年にこの家に嫁いで来た。だんなさんはビルマの戦線に出征し戦友たちがばたばたと死んでいく中で、九死に一生を得て帰ってきた人だという。
ここの家はある大きな卸屋さんで最大時は、80人ぐらいの従業員を使っていたという。その大店をおばあさんが切り盛りしてきたのだ。
「もう年がら年中忙しく、ただ無我夢中で働きづくめだったわね。全国から見習いの手代が住み込みでこの家にいたのよ。その人たちの食事からだから大変だったけどよくやったわね今思うと。」

そろそろ帰ろうと思い家を出ると、なぜかおばあさんも一緒に家を出て、庭の方に来た。そして二人で茶室を眺めていた。周りの木々の中に、古い茶室はひっそりと佇んでいた。


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【2007/05/17 22:43】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
制約があるからこそ創造性が生まれる
最近、テレビでおもしろいと思うのは、NHKの「プロフェッショナル」である。各界で活躍するプロの特集をする番組である。先日見たプロが「建築家・隈 研吾」である。彼の根本思想である「負ける建築」という考え方がとてもおもしろかったので、今日は建築家・隈 研吾を紹介することにしよう。

隈研吾はある時期までは、前衛的で超モダンな新進気鋭の建築家として名を馳せていた。ところが彼にとって自信作であった、ある作品が酷評を受けショックを受け、それまでの自信が揺らいでしまう。そんな自信喪失していた時期に、ある辺鄙な村からオファーがあった。昭和初期に作られた村営演芸場の改修工事である。日本を代表する建築家にとってはあまりにも小さな仕事であった。ところが現場に足を踏み入れて、あまりにも見事な大型木造建築の素晴らしさに圧倒されてしまう。材料にも事欠くである筈のその当時に、名も無き大工さんたちが苦労した跡がわかるのだった。地元の材料を使い、曲がっている木材を多用し、かといって構造的にも強い演芸場を使っていたのだ。しかし、外から見た演芸場は、その村の雰囲気とマッチして慎ましく、決して「偉い建築物」として主張していない。ところが中に入ると圧倒的な大空間を作っており、村人唯一の娯楽であった「演芸の出し物」をしっかりと演出する構造になっていたのだ。

このときから隈研吾は「主張する建築」ではなく、環境にマッチした建築、彼なりの言い方でいえば「負ける建築」を模索することになる。
「負ける建築」をより根本にさかのぼると次の思想にたどり着いた。「制約があるからこそ創造性が生まれる」。この村の大工さんたちの苦闘の跡を見ていくうちにひらめいた考えであった。
テレビは彼の最近の代表作を見せながらこの「負ける建築」の表現をたどっていく。
棚田で有名な村から頼まれた「憩いのレストハウス」。彼は棚田の環境を壊すことなく、逆に棚田の風景にマッチングするプランを練る。映像は完成したレストハウスでくつろぐ村民にインタビューしていく。すると村民は眼下に見下ろす美しい棚田を見ながら「ここに来るとなんか懐かしい感じもするし、でも都会的でもあるし、すごく気持ちいい。」と話す。
「負ける建築」の真骨頂である。棚田という制約を見事に取り入れた作品の完成だった。
「制約があるからこそ創造性が生まれる」、なんて美しい言葉なんだろう。

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【2007/05/10 21:28】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
隼(はやぶさ)の心

先日、仕事でお世話になっている隼電気株式会社の創業60周年記念パーティにお招きいただいたので行って来ました。とても感銘したことがあったので、紹介することにしましょう。

会場はあふれるほどの人に包まれていました。なんと480人が列席していたそうです。これも60年間電気事業を通じて地域に貢献してきたことと同時に、平間社長の人徳の賜物なのだろうなと思いました。会場には友人や知人も多くいてとても楽しいパーティでした。平間社長の挨拶も素晴らしかったし、ご家族の音楽家による演奏もよかったし、また、知人・友人のスピーチからも、これまでの隼電気の努力のあとがわかる素晴らしいものばかりでした。
しかし、私が最も印象深かったのは、このときに知った隼電気の名前の由来でした。
創業者であり、現社長のお父様である平間幸助氏は戦前、陸軍の隼戦闘機部隊に所属し日本を守ろうと活躍し、復員後は、名機「隼」のごとく「俊敏に、きびきびとしたいい仕事をしたい」との願いから、「隼電気」と命名したとのことです。

驚きました。日本陸軍の誇る名機「隼」戦闘機部隊にいたことが由来だったとは。
隼は零戦に比べると確かに有名ではありません。性能においても例えば、速度・上昇能力・航続力すべてにおいて零戦に若干負けてます。しかし英米の名機であるスピット・ファイアーやハリケーン・バッファローなどと対峙し大活躍しているんです。、マレー英空軍殲滅戦、オーストラリア・ダーウィン上空での撃滅戦、ビルマ・ミンガラドン上空での空戦、ニューギニアでの米第五航空軍との死闘、ガダルカナル、ラバウルでの激戦・・・・・・
やはり小さいながらも、とてもすばしっこく、俊敏で英米軍にとても恐れられていたんです。最後は奮戦むなしく英米の物量にやられましたが、隼は素晴らしかったんです。

そうだったんですか。この隼戦闘機部隊にいたわけですか、お父様は。
ぜひとも隼電気におかれましては、60周年といわず、これからも地域に貢献し繁栄されますことを祈ります。日本を守ろうとし俊敏な動きで活躍した「隼」の心を持って。

エンジンの音 轟々と、 隼は征く 雲の果て、 翼に輝く日の丸と 胸に描きし赤鷲の
印は我らが戦闘機   ・・・・・「加藤隼戦闘隊」より

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【2007/05/04 20:45】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp