良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
和時計の衝撃
東京へ行ったおり、少し時間があったので「東京国立科学博物館」を見てきました。さまざまなコーナーがあったのですが、私が驚いたのは「江戸時代の科学技術コーナー」のなかの和時計でした。きょうは、この驚くべき「和時計」の話しを紹介することにしましょう。

この和時計は、名前がなんと「万年時計」というそうで、一回ねじ(ぜんまい)を巻くと一年動く、すぐれ物のようです。作られたのは江戸時代末期、作ったのは、からくり儀右門の名で知られる田中久重。この超強力なぜんまいは刀鍛冶に特別注文して作らせた一品だそうです。和時計の表面や台座は螺鈿や蒔絵を施し、七宝や彫金などの伝統工芸も見られ、とにかくすごいです。
時計の部分は6面からなり、一面は普通の洋式時計、二面がいわゆる和時計になっています。
和時計とはかつての日本独特の時間です。すなわち江戸時代までは現在の24時間と違って、一日を12刻で表現していました。一刻は2時間ですが、これが季節によって変わります。例えば冬なら夜が長い、したがって夜の一刻は2時間より長く刻むのです。もちろん昼の一刻は短い。夏は逆になるのです。なんとこの驚きの和時計、はこれらの複雑な時を、すごい技法によって表現していたのです。さらに3面は24節気、4面は曜日の七曜、5面は月の満ち欠けと日付、6面は十干・十二支を、これだけではありません。天頂面では正確な日本地図が描かれており、その上に太陽と月の動きを表現しています。
刻一刻を、洋式時計・和時計・24節気・月の満ち欠け・日付・・そして太陽と月の動きをきざんでいたのです。私にとって衝撃でした。こんなすごいものを江戸時代に作った日本人がいたことに。

この究極の和時計を作った田中久重はその後も大活躍したようです。油での「灯火」、日本で最初の消火器、そして蒸気船、蒸気機関車、電信機、・・・・
田中久重の技術者魂の根源はただただ「人のお役に立ちたい」です。かっこいいんです。
そういえば軍事力を背景にして日本を屈服させたアメリカ人がいました。ペリー提督である。しかしペリー提督は日本人が作ったいくつかのグッズを見て震え上がったと私は記憶しています。「この技術力があるからには、将来、日本は工業大国アメリカに追いつくかもしれない。」とペリーは日記に書いているのです。案外、ペリーは田中久重の「和時計」を見ていたのかもしれませんね。

この優れた和時計を作った技術者、田中久重こそ「東芝」の創業者である。

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【2007/04/27 20:51】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
ホウ雪崩
二日前に、ニュースで富山県・立山連邦での表層雪崩を報じていた。今年も各地で雪崩の被害が起きているようだが、今日は、最近読んだ本で知った、表層雪崩よりはるかに恐ろしい「ホウ雪崩」について紹介していこう。

「高熱隧道」吉村昭著で知ったのが「ホウ雪崩」だ。この本の趣旨は昭和11年から15年までの5年間にかけての黒部第三ダムを苦労の末に完成させた偉業と労働者たちの格闘ぶりを描いた作品だ。とりわけ資材を運ぶための隧道を掘るとき、なんと摂氏160度まで温度が上がり、たくさんの死者を出しながら完成させたのだ。この高熱隧道を掘る苦闘ぶりがメインテーマである。
しかし私が最も印象深かったのは、「ホウ雪崩」というあまり聞いたことが無い現象が起きた部分である。
高熱隧道を掘るために労働者たちの宿舎を山の中に建てたのだが建てる際に絶対に雪崩が起きない地点を見定めて学術研究者たちの助言に基づき建てた。ところが悲劇は昭和13年に起きた。
遠くで恐ろしいほどの爆発音が聞こえたので、労働者たち百人が泊まる五階建ての宿舎のほうへ赴いた主人公は驚きで体が硬直してしまう。
なんと五階建ての鉄筋コンクリートが1階部分だけを残して完全になくなっているのだ。雪崩かと思ったが、どうもおかしい。普通の雪崩なら木々がずたずたに折れ、押しつぶされたり壊れた建物も近くにあるはずだ。ところが警察隊や捜索隊など合計300名が捜索してもいっこうに、消えた宿舎が見つからないのだ。さらに捜索範囲を広げ数百m下流のほうまで捜索したがやはり見つからない。「いったい、宿舎はどこに消えたのか。何が起こったのか。」主人公たちは呆然としながらも専門家に鑑定してもらう。その結果、専門家はある仮説を述べるのだ。
以前スイスで起きた驚くべき雪崩「ホウ雪崩」ではないのかと。スイスで起きたホウ雪崩では一つの村が超爆風を受けて村ごと数キロ先に吹き飛ばされたのだ。
この仮説を受けて更なる捜索を開始すると案の定1k先の山の壁にその宿舎の残骸が吹き飛ばされていた。ホウ雪崩は異常に発達した雪庇の傾斜に新雪が降り積もったときに起き易いそうだが、ものすごい爆風を伴うのが特徴だそうだ。このホウ雪崩は日本でもまれにおきるそうだ。この結果宿舎にいた全員が死亡した。こうして高熱隧道での死者だけでなくホウ雪崩というめったに起きない災害によって工事は遅れに遅れた。しかし戦争勝利のためにどうしても電力需要を満たすべく技術者も労働者も一丸となって工事を再開する。さまざまな困難を乗り越え、黒部第三ダムはこうして完成した。昭和15年のことである。

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【2007/04/21 15:24】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
あかね空

日曜日に見た映画が「あかね空」で、とてもよかったので紹介することにしましょう。

京都で豆腐職人をしてきた若者が江戸へ出てきて店を開きます。店の名前は「京や」。素晴らしい味で江戸の人たちの人気を得ます。店はますます発展しお嫁さんももらい、さらに子供たちも三人でき、順風です。しかしおもしろくないのは、老舗の豆腐屋です。特に浅間山の大噴火以降、大豆の値段が高騰し、不況の波が豆腐屋稼業にも押し寄せてからひとしおです。
しかし、順風と思われていた「京や」にもある波風が立っていました。長男と他の兄弟の確執です。実は長男は赤ん坊のころの大やけどで体にひどい腫れ物があり、責任を感じているお母さんは、長男にだけ甘いため兄弟間の対立が深刻だったのです。この対立と長男の心の悩みに目をつけていた悪い豆腐屋がいました。この悪い豆腐屋は長男を賭博場に誘い込み、やくざの親分と謀って借金をしょわせようとします。そして最終的には「京や」を乗っ取ろうと計画します。どんどん賭博で借金を重ね店のお金に手をつけ始める長男。
ところがここであることが起こります。やくざの親分には実は子供時代の秘密があったのです。
親分は大きな豆腐屋の長男として生まれたのですが、あることで親と生き別れるのです。そして生きるためにやくざ稼業をやっていたのです。
この親分が借金取りにだめな長男のところに行くと、懐かしい豆腐のにおいが伝わってきます。
そしてそのだめな長男に、素晴らしい豆腐屋の長男でありながら、裏稼業を生きてきただめな自分を重ね合わせ、その長男に同情し、そして「京や」をつぶしてはダメだと思い直すのです。
親分は悪い豆腐屋をこらしめるためにある策略を練ります。
「京や」の主人の突然の事故死、長男はますます賭博に現を抜かし借金地獄のどん底、
そして悪い豆腐屋は長男に書かせた証文によっておかみさんに家屋敷全部をよこすように催促、後ろには予定どうり、恐いやくざの親分さん。事情をすべて知った長男は父親のなきがらの前で泣き崩れる。そしておかみさんはすべてを観念し「わかりました。この京やの家屋敷はすべてお渡しします。長男の不始末ですから。そしてまた京やは一から出直し親子みんなで豆腐稼業に精を出します。」と毅然として言うのです。ここで親分さんの計らいでどんでん返しがあり京やはすべての苦しみから解放されるのです。そしてラストシーン。おかみさんは外に出ます。すると外はもうすぐ夜明けという「あかね空」になっていたのです。まるで「京や」を覆っていた暗い闇があけるかのように。


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【2007/04/13 23:20】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
深海の使者

最近読み終わった本が「深海の使者」吉村昭著である。とても驚きの連続だったので、今日はこの本の話しを紹介しよう。

この「深海の使者」は、以前、富士電機株式会社に勤めていた私の叔父に教えられた本だ。話の概要は昭和17年から昭和19年にかけて、ドイツの最新式のレーダーと図面類を極秘にドイツから日本に運ぶ物語である。海軍の技術者たちが主に担ったのだが、軍人以外にもいた。民間の優秀な技術者たちも、日本の勝利のためにレーダー開発の国産化のためにドイツに行って技術指導を仰いだのだ。三菱電機、日本無線、東芝、富士電機などの技術者たちである。
叔父さんは入社したとき、先輩からリアルに「深海の使者」の話を聞いたという。技術者たちの格闘の歴史を。

昭和17年、日本はレーダー技術が英米に比べて劣っていた。この状況を変えるには当時世界最強のレーダーだった、ドイツ軍のウルツブルグレーダーを国産化し、レーダー網を配備しなければならなかった。しかし、ドイツと日本は距離がありすぎウルツブルグを運ぶことが至難の業だった。
そこで最新式の伊30号潜水艦でドイツに行き技術指導を仰ぐとともに、ウルツブルグと図面類、ドイツ人技師たちを日本に運ぶ計画を立てた。しかし、インド・セイロン・アラビア海・マダガスカル・喜望峰・アフリカ西海岸のすべてがイギリスに制海権を握られていたため大変な困難にぶつかっていた。イギリスの警戒網を突破しきれず撃沈した潜水艦もあった。機雷に触れ爆発した潜水艦もいた。しかしその中にあってかろうじて図面類とウルツブルグを持ってきた潜水艦もあった。
戻ってからの技術者たちの格闘もすごい。何しろウルツブルグは高度な最新兵器な為、図面だけで5000枚もある始末だ。この図面のドイツ語を日本語に訳し計算の方法も日本式に直し造っていったのだ.。結局、技術者たちの格闘にもかかわらず、戦局は悪化し、わずかなレーダーしか作れなかった。間に合わなかったのだ。
しかし、富士電機のその先輩は、熱を込めて当時の技術者たちのがんばりを語ってくれたらしい。
戦後の日本の電機技術の飛躍はこういった深海の使者たちの魂の継承にあるのかもしれない。
ちなみに富士電機の「ふ」は古河電工の「ふ」、「じ」はジーメンス社の「じ」、まさしくドイツと日本の資本提携でできた会社なのである。


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【2007/04/07 21:59】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp