建築基準法を調べるために、建築知識という雑誌の少し古い号を見ていた。その巻末の方に建築漫遊記というなかなかおもしろい記事がありましたので、今日はその話を紹介しましょう。
そこで取り上げられていたのが「四阪島(しさかじま)」。四阪島とは愛媛県の新居浜の沖合い20kmに浮かぶ4つの島の総称である。これらの島には今も明治時代に作られた、とても美しい建築物があるのです。雑誌にはカラー写真でそれらの建築物が載っていたのですが、アールヌーボー風の美しい建物です。と同時になぜこの小さな誰も知らないような島々にあるのか不思議に思ったのです。 四阪島とは住友家が別子銅山で採掘した鉱石を精錬する工場群があったところです。なぜかといえば、もともとは別子銅山や新居浜で精錬していたのですが、煙害(公害)がひどく付近の農民たちから激しい反対運動が起きたために、瀬戸内海に浮かぶ四阪島を買い取り、そこで精錬を開始したといういきさつがあるのです。 住友家の莫大な財産はこの別子銅山と精錬所があった四阪島によってもたらされたといっても過言ではありません。そのためこの四阪島にも小学校から病院、娯楽施設などあらゆる施設が、住友家のお金で作られたのです。この美しい建築物ももちろんそうです。しかしこの建築にはもう一つ別の要因もありました。それは住友家15代目の家長、春翠(しゅんすい)の存在である。 春翠は品のいい顔立ちですが、実は華族から住友家へ婿養子に入り、家長を継いだ人なのです。ヨーロッパの上流社会での生活もあることから、住友家が総力を挙げて事業に取り組んでいたこの四阪島や別子銅山に美しい近代建築物を建てることを命じたのです。 指名を受けた建築士は、野口孫市。彼が建てた美しい建物こそ「日暮別邸」と呼ばれるものです。まさしく住友家の四阪島の別邸だったのです。
日暮別邸に象徴されるような、四阪島の繁栄は産業構造の変化によって凋落していきます。小学校も閉校し5000人もいた従業員は一人もいなくなります。精錬工場は一部だけ残り「酸化亜鉛」を生産しているそうですが、従業員は新居浜から出ている通勤船で通っているのだそうです。 四阪島の繁栄を象徴する西洋館「日暮別邸」は、今も海を見下ろす崖の上にたたずんでいますが通勤船しかない以上、一般観光客が見ることはできません。それが少し残念です。
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