良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
村区の今昔

きょう、名取のダイアモンド・シティがオープンしたようですが、数日前のプレオープン時に、ここの地権者さんに誘われて私も見学してきました。きょうはこのときの話しをしましょう。

鉄道も最新式で時速がなんと100km以上で走行するようです。そのため仙台駅から仙台空港まで20分足らず。杜せきのした駅までだと17分です。すごすぎます。通勤圏内どころではありません。
我々は、北側から駅(二階)に昇り、ダイアモンドシティ・エアリに入っていきました。こう言っては失礼かもしれませんが、長町のショッピングセンターや三越仙台店と格段の差があるように感じました。ゴージャスで広い空間がありいい感じです。ここのテナントは相当厳選したようで、東北からよりも東京や大阪の一流店が数多く入っているようです。ブティック関係も素晴らしいですが、食のコーナーもなかなかのものです。
こういう建物が仙台にできていればこんなにも驚かなかったかもしれませんが、名取というところにできたのが衝撃なのです。
すでに空港側の美田園側では保留地分譲が始まったようですが、やはりというべきか、すごい人気のようです。
関の下側はエアリ人気で倍率が桁外れになると思われます。すでに水面下では土地売買も始まっているようですが、ここでは数字は書きませんが、たいした額が出ているようです。

しかし、地権者にとってはただもろ手を挙げて喜んでいられるかといえばそうではありません。ここはそれまでは市街化調整区域で、さらに農振地域です。土地の価格が極端に低かったところです。それゆえ固定資産税も安く土地の取引もあまり無い土地柄だったのです。そこにエアリですからね。つまり来年からの固定資産税は100倍になる換算です。ほとんどの人が農業中心だったものが、不動産業を兼務せざるを得ないでしょう。何百年と続いた田んぼ中心の「村」からの転換が迫っているともいえます。
帰り際、駅の北側からエアリを眺めていた地権者さんは次のようなことを話していました。
「この駅の周辺一帯は「村区」って呼ばれていたんだ。名取平野は米どころだけど、その中でもこの周辺は特に米の収穫高がいいどころだったんだ。おらいのたんぼはそこにあった。それがいまはこれだからなあ、なんだか不思議な感じがするっちゃなや。」
名取きっての米どころだった村区がたった10年で超ゴージャスなエアリになったようです。

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【2007/02/28 21:56】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
武田屋の矜持

きょう、南材木町の(株)武田染工場に行ってきたのですが、ここで武田社長から染工場を見せてもらいました。とても感激したので紹介することにしましょう。

事務所の裏に自宅があり、そのさらに後ろに工場がありました。職員さんが、5,6人いてそれぞれの工程部分を担当して働いていました。
「型付け」の工程では糊つけをし、生地を何十枚と折り返していました。
次の工程である染色では黄色い色の染料が注がれていました。ところが次の工程ではその上に別の染料が注がれました。すると不思議なことにエンジの色に変わるのです。
染料を組み合わせ調合することにより、化学反応を起こさせ、さまざまな色に変えることができるらしいのです。
この染料は「ナフトール」というものらしく、この工場での主力の染料の一つだそうです。
ナフトールで出せる色は朱色、赤、オレンジなどです。
一番使われている染料は、「硫化」というものらしく、浅黄色、鼠色、緑色、抹茶色、からし色、
紺色などさまざまな色を調合できるようです。
さらになぜこの硫化が良いかという説明が、武田社長からありました。例えば、酒屋さんなどがズボンが汚れないように使ういわゆる「前掛け」など、昔は当然「藍染」でした。しかし、現在は工程の簡略化、大量生産に間に合うように「化学染料」で染めるのが普通ですが、最も藍染に近い色具合が出せるのも、この「硫化」らしいのです。
しかもこの硫化染色はむらが少なく安定しており素晴らしい色が出せるとのことです。
もちろんもっと高価な染料、例えば紫色を出すのに使う紫紺などもあるそうです。

次の工程は染色が終わったものの洗い場での洗いでした。昔はそれこそ七号堀で洗っていたそうです。そして次は外に連れて行ってもらい、外に干されたものを見学しました。
この干し方を「伊達干し」というらしくたかさが7,8mありそうな干し場に階段を上り上から干すのです。
この武田屋は15代続く染物屋だそうで、この辺一帯が染物屋が立ち並んでいたそうです。しかし武田社長は「いつまで続くかはわからないねえ。干し場のところは完全に都市計画道路になるしね。先のことはわからないなあ。できたら15代続いたこの染物屋を続けたいんだけど。」
都市計画道路も市民にとって大事だし、でも仙台に長く続いた武田染物屋という、歴史的な誇りも市民にとって大事なものなんじゃないだろうか。何より武田社長の話しぶりに表れる染物屋としてのプライドすなわち矜持を持っていることが私にはとてもうれしかった。


【2007/02/24 18:51】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
旧暦の不思議

正月に母親から聞いた話がおもしろかったので紹介しましょう。なんでも、昔はお正月を二回行ったというのです。すなわち現在の1月1日の元旦にも新暦のお正月ということで小規模のお祝いを。次に2月の今頃の季節に旧暦のお正月のお祝いをしたらしいのです。この旧暦のお正月こそが、田舎の方では本番であり盛大なお祭りだったそうです。
しかも旧暦のお正月は新暦に換算すると、一月の下旬のときもあれば、二月の初旬、あるいは二月の中旬ありと、その幅は20日以上あり、なんともややこしく不思議な感じがします。
なぜかといえば、立春に一番近い新月の日が旧暦の1月1日に相当するためにこのような幅があるらしいのです。いずれにしても昔の日本人は「月の運行」を基準に一年を過ごしていたことになります。お正月を新春という言い方がありますが、まさしく現在の2月初旬から中旬にかけてであれば本当に「新春」という感じがします。

お正月が二つあるということは、我々の誕生日だって二つあるということです。私は3月12日生まれですがこれは新暦なわけで旧暦で言えば2月1日あたりでしょう。
昔はすべて旧暦だったということを考えれば、我々はいろいろな誤解をしていることが多いかもしれません。例えば、芭蕉の名歌「五月雨の あつめて 早し 最上川」があります。五月の山形だったらまだ春であり肌寒い感じがします。しかしこれは旧暦の五月ですから新暦に換算すれば6月の中旬過ぎです。すなわち夏です。これで一気にこの歌のイメージが変わってしまいます。
肌寒い春を読んだ歌ではなく、夏を歌ったものだったのです。
歌だけでなく昔から伝わるものすべてが旧暦でいってるのでしょう。例えば5月5日の端午の節句、7月7日の七夕、これらも旧暦でしょうから新暦換算で言えばそれぞれ6月中旬、8月中旬になります。そういう意味では仙台七夕は案外正しい時期にやっているといえなくもない。

いずれにしても日本は昔から「お月様の運行」を基準に生活をしてきた。節分、八十八夜、中秋の名月、お彼岸、十三夜、七五三、大晦日・・・などがあり優雅でゆっくりとした日々をおくっていたのかもしれませんね。

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【2007/02/18 14:19】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
おじいさんの待つ島へ

知人と飲んだときの話だが、彼が奥さんに「おまえのおじいさんに会いにガダルカナル島に連れて行くか。」と言ったところ、奥さんは少し涙ぐんで喜んだという。
この奥さんのおじいさんは、ガダルカナル島で戦死したのであり、子供のときからおばあさんに話を聞かされてきたようだ。この島での戦闘は熾烈を極め、多くの日本人が亡くなった。
そのため遺骨は野ざらしのままになっているという。この状況に家族はずっと心を痛めてきたのだが、何かの拍子に「ガダルカナルへ連れて行ってやる」と言ったらしいのだ。
現在厚生省は、遺骨収集を中止しており、大学生などのボランティアが細々と収集しているのが現状である。

そんなおり、映画「硫黄島からの手紙」を見た。栗林中将をはじめとして日本軍が不屈の闘志を持って戦った姿が描かれていた。栗林中将による最後の総攻撃時に発した命令を読み上げるときは体中が震えた。「戦局は最後の関頭に直面せり。兵団は総攻撃を決行し・・・・、予は常に諸子の先頭にあり。」
驚くべきはこの最後の発令からさらに10日間も闘い続けたことだ。栗林中将や西竹一連隊長、市丸海軍少将をはじめ祖国日本をなんとしてでも守ろうとした先人たちがいたのだ。
この日本のために自己犠牲の精神で闘った兵士たちの遺骨が、今も硫黄島に13000柱も野ざらしのままらしいのだ。


硫黄島やガダルカナル島だけでなく故国日本に帰れないでいる遺骨がたくさんあるのだ。我々日本人が彼ら兵士のことを忘れないで、慰霊をすることが大事なのかもしれない。知人はいみじくも奥さんに「ガダルカナルのじいさんのところに連れて行くか。」と言った。奥さんだけでなく、私もこの言葉に感動を覚えた。


*ちなみに3月14日はアメリカが主催する「硫黄島日米合同慰霊祭」が毎年硫黄島で行われている。アメリカではテレビでもこの慰霊祭を流しているが、日本ではいまだにテレビで写さないようだ。兵士たちへの思いの違いでしょうか。


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【2007/02/13 23:01】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
コア・ミッション

最近読んだ本でとても感動したものがあります。それは「千年、働いてきました」という本です。今日はこの本の話を書きましょう。日本にはいわゆる老舗がたくさんありますが、その老舗の話です。


日本で最古、というよりも世界最古の企業はどこでしょうか。それが日本の大阪にあるのです。宮大工集団の「金剛組」です。なんと飛鳥時代から続いているのです。四天王寺を始めとして数多くの寺社仏閣を建ててきた偉大な会社なのです。日本以外でもイタリアなどには続いている古い会社はありますが1500年も続いた企業はありません。アジアでは日本以外、老舗はほとんど無いそうです。とりわけ中国や朝鮮は他人を信用しない傾向があるそうで、信用するのは現在のお金だけです。ところが日本では技術を重んじ職人が尊敬される社会であり、その技術を伝承することに重きを置いているらしいのです。いわゆる職人かたぎと言われるものです。


金剛組み以外にも素晴らしい老舗が続きます。例えば田中貴金属。江戸時代には両替商だったそうですが、現在は金地金で有名です。それだけではなく携帯電話のバイブレーションの極小のモーターに付いている小さなブラシを開発したそうです。金の極細線を使った優れものです。さらにかつて日本一の銅山だった秋田の小坂鉱山では閉山後、その精錬場を使い、捨てられた携帯電話から金・銀・プラチナを抽出することに成功。金の延べ棒などを生産しているそうです。さらには勇心酒造では酒造りの醸造法を応用し、アトピー性皮膚炎に効く「アトビスマイル」に成功。他には、ろうそく作りをしてきた「野田家」ではトナーの添加剤にこの木ろうを使い大成功を収める。このような素晴らしい老舗が次々と登場するのですが、私が最も印象深かった老舗は福田金属箔粉工業ですね。もともと屏風の箔や蒔絵の金粉などを生産していたのですが、現在は携帯電話の折り曲げ部分に使われている「銅箔」を作っている。世界の9割を生産しているようだ。この300年続く会社を貫いているものは何かの質問に現社長の言葉が振るっている。「身の程をわきまえるってことですかね。すなわちコア・ミッションですよ。」 コア・ミッションを言い換えれば使命の核心だ。使命の核心とは本業の素晴らしい本質を見極めそれを応用しながら伝えていく使命感を持つことだという。「金属の箔や粉末をいかに加工していかに人のためになるか。このコア・ミッションから離れないことが大事ですね。」と話す。この福田家には家訓があり「鈍き人にても誠ある人を友とすべし。」と書かれている。


コア・ミッションか。私も土地の専門家として使命の核心を持つことにしよう。


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【2007/02/02 22:29】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp