良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
タクシーにて

先日タクシーに乗り、夜の国分町から自宅まで帰るときにこんなことがあった。私の自宅は河原町の少し手前なので料金にするとおよそ1300円である。いつもは基本料金が終わり80円づつ上がるカウンターが気になって気になって仕方が無い。1300円だからそれほどの金額ではないのだがおもしろくない。あのカチャカチャUPする感覚が。


ところが先日乗ったときに無線で県外までの指示が運転手さんに出たのだ。そこで私が「県外も結構あるんですか?」と聞くと、「いやあ、最近はめったに無いね。かつては国分町から一関だ、石巻だ、福島だって毎日のようにあったもんだけどね。」さらにつづけた。「あ、でもね、この間八戸と東京があったかな。どちらも危篤とか、死に関係することだね。案外タクシーってそういった不幸な出来事と密接な関係あるんだねえ。一刻一秒を争うし、深夜は車の無い人はタクシーで行くしかないからね。ま、お金の問題でもないしね。」  東京までいくらかかるか聞いてみると、約10万円だという。


さらに運転手さんの話が続いた。「そうそう、私ではないけどね、同僚が仙台から岐阜まで行ったことがあるね。ほら、数年前に有名な俳優のSさんの息子さんが岐阜で事故死したことがあったよね。あのとき、SさんはCM撮影のために仙台にいたのよ。深夜だったのでうちのタクシーで岐阜まで行ったんだよね。マネージャーと二人で乗ってね。岐阜までの間、ずうっと3人は無言だったらしいね。」私はまたまた岐阜までの料金を聞いてみた。すると約20万円だという。


それにしてもタクシーが生死と密接な関係があったとは驚いたが、言われてみればそうだなとも思った。そして私が普段、80円のUPごときでどきどきしていることが少し恥ずかしくもなっていた。10万円の話や、20万円の話を聞いた後ではなおさらだった。今夜は釣りなんかいらねえ。そんな気分にもなりかけていたとき自宅に着いた。しかし、タクシーから降り気づいてみると手には、しっかりとお釣が握られていた。


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【2007/01/30 21:36】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
日本式

正月明けに待望の台湾新幹線が開業しました。台湾はパラオとともに親日的な国ですが、台湾新幹線を一目見ようと大勢のファンが殺到し台湾の国旗に混じって日本の国旗を振っている姿にはジーンときました。なぜ台湾では「日本」が人気なのか、今日はこのことについて書いていきましょう。


台湾の中でもとりわけ高雄や台南など南部の方では、素晴らしいお店などのことを、「あのお店は日本式。」といいます。日本式とは良心的、ごまかさない、素晴らしい、誠実である、を意味します。逆に良心的でない、ずる賢い、不誠実である、あまり良くないことを、「あのお店は中国式」と台湾南部の人たちは言うのです。


なぜこれほどまでに日本という言葉が「素晴らしい」を意味するようになったかといえば、後藤新平や新渡戸稲造、八田輿一等台湾人のために全身全霊を尽くした日本人たちがたくさんいたからです。都市のインフラ整備だけでなく、田んぼを作り食料を安定させ、鉄道や港湾を作り、アヘンを撲滅させ、東京よりも早く下水道を整備し素晴らしい島にしたのです。それだけでなく暮らしていた日本人たちは親切で勤勉で素晴らしかったのです。この記憶が今も残っているために台湾人にとって、日本=素晴らしい、というイメージが定着しているのです。


しかし最近のニュースでも不二家の賞味期限切れ問題が浮上し、ちょっと前にはパロマ、あるいは三菱自動車、日本航空、雪印とごまかしていた企業がいくつも出現し問題化しました。ずるをしてでも儲けようというのでは、まさしく台湾人たちが軽蔑している「中国式」ということになります。


もう一度日本は台湾人たちが尊敬している「日本式」に学ばなければならないかもしれませんね。皆さんのお店や会社は「日本式」ですか。それとも・・・・・


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【2007/01/25 22:07】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
戊辰の風雪

最近、改めて読んだ本に「戊辰の風雪」がある。今日はこの本の著者のことを書こう。この本の著者は私の恩人であり、深く尊敬している前河北新報社専務の小野昌和氏である。小野さんは昨年の夏に他界した。その半年前にがんで患い入院したが、治療の甲斐なく亡くなったのだ。小野さんは酒田出身であり、庄内藩の家老の末裔と聞いた。酒が好きでほろ酔い機嫌になると、戊辰戦争の話をした。それも熱を込めて「薩摩・長州は許しがたい」と。それほど、庄内藩のことを、そして東北人のことをこよなく愛していた。東北人は戊辰戦争の影をずうーと引きずっているんだ。が口癖だった。私はこの本で東北人のすごさを知った。


書き出しはこうである。「近代東北の原点は戊辰戦争にある。日本の舵は薩摩・長州が握ることになったが、奥羽皆敵の地の名誉挽回を密かに心に決めた人たちがいた。南部藩主だった南部家の当主、南部利祥(としなが)伯爵もその一人である。天皇を守るこの騎兵連隊の中尉、日露戦争に出征、奉天の会戦で井口嶺の雪に23歳の命を散らした。彼は陣中から家令にあて「ドンと弾丸が当たれば利祥は無くなれども南部家は無くならない。我 皇室と共に不滅である」と手紙を出していた。旧南部藩士は殿様の戦死に「これで賊軍の汚名をそそぐことができた」と、皆、涙を流したという。


全編この書き出しのように、東北人、それも東北出身の軍人を中心とした偉人たちに焦点を当て、彼らへの尊敬と愛情を綴った本なのである。一戸兵衛陸軍大将、出羽重遠海軍大将、石原莞爾陸軍中将、板垣征四郎陸軍大将、南雲忠一海軍大将、東條英機陸軍大将、今村均陸軍大将、及川古志郎海軍大将、・・・・、おびただしい数の陸軍・海軍の中心的な人材を東北は輩出していたのだ。それ以外にも鶴岡出身の思想家・大川周明なども紹介されている。「戊辰の風雪」はあまりにも過酷な運命にもめげずにいさぎよく戦い散って行った東北人への愛情が満ち溢れている秀作である。


死の数ヶ月前に小野さんが書いた詩が病室に残されていた。 死を覚悟した遺書のようでもある。「病みたる虎は秘かに草に臥し  命尽きるを待つ  願わくば 吾が身、土に還りし時 降る雨は香しき清酒となり 舞う雪は 白く濁れるどぶろくとなりて 墓所に注がんことを」 


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【2007/01/20 17:40】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
津波

土曜日に津波警報のニュースが流れていた。今回は津波は小さくて何の災害も無くて良かった。しかし、日本には時々恐ろしいほどの津波が襲ってきたことを記憶しておくべきでしょう。岩沼の地権者さんには、昭和初期の津波のことや戦後のチリ地震での津波の話を聞いたことがあります。仙台バイパスの近くには、津波の記憶を刻んでいる波分神社があります。また本で知ったのでは、明治29年の三陸大津波があります。最大到達点が38mの地点もあり、数万人の死者を出したそうです。さらに名取の地権者さんに聞いた話では、大昔に貞観津波という巨大津波が名取を襲ったという古記録が清水峰神社にあるそうです。このように時々ではありますが巨大津波はあったのです。今日は津波にまつわる話を紹介していきましょう。


私の母親は戦前の尋常小学校を出ていますが、その小学校5年生の国語の時間に習った小説の話を聞いたことがあります。「稲むらの火」という小説でとてもいい話だったので後で読んだのですが、要旨は次のようなものです。「海辺の高台に住む五兵衛はゆっくり揺れる地震の後に何気なく海を眺めます。すると波が沖へ沖へと動いて海岸には砂原や黒い岩底が現れます。五兵衛は、津波がやってくる。と確信します。おじいさんから聞いていた波が沖へ引いていくという現象そのものだったからです。大変だと思い村人たちへ津波がやってくると知らせますが、誰も信じず家から出て来ません。そこで五兵衛は自分の田んぼに収穫し束にしていたすべての稲むらに火をつけます。村人を救うためなら稲がもったいないなどといってる場合ではないと判断したのです。火事だと勘違いした村人たちは山の上を目指して走り出しました。村人が全員山の上に避難した直後、巨大津波が村を飲み込みます。一同は波に抉り取られて跡形もなくなった村ををただあきれて眺めていました。稲むらの火は風にあおられて燃え上がり夕闇に包まれたあたりを明るくしていた。初めて我に返った村人たちはこの稲むらの火によって救われたのだと気がつき、無言のまま五兵衛の前にひざまづいていた。」


この話は江戸時代末期に和歌山県で起きた実話を基に、子供用に作った物語です。作者は小泉八雲(ラフカディヲ・ハーン)。作者が外国人であったため、この美しい小説は日本だけでなくアメリカやヨーロッパの各国語に訳されて今も外国の子供たちが習っているそうです。しかしなぜか戦後の日本では、津波の危機管理にも役に立ち、しかも世界にも誇れるこの美しい小説を教科書から消してしまったようです。どうしてなんだろう。


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【2007/01/15 22:56】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
千の風になって

昨日テレビを見ていると、紅白歌合戦でも歌われた「千の風になって」が特集されていました。紅白のときはなぜこの歌が?と思ったのですが、結構売れているそうです。この歌は不思議な歌なのです。なぜかといえば、死者のための歌はたくさんありますが、なんとこの歌は、死者が、生きている人へメッセージを伝えている歌だからです。しかもこの歌の作者は今もって謎なのです。


私はこの歌をはじめて聴いたとき、衝撃を受けたと同時にある情景を思い出してしまうのです。私の家は仙台の河原町の近くなのですが、私の家内がある晩、歩道のところに若い男性がうずくまるようにして祈りを捧げている姿を目撃します。お花の前で。さらに二日後の夜も同じようにしていたそうです。ほとんど一心不乱に祈りを捧げていたそうで、その姿に圧倒され、不気味さを感じるほどだったそうです。その後も多くの人が、目撃し「なんだろう。」と話題にもなっていました。ある夜は雨の日でしたが、濡れるのもかまわずに、やはり一心不乱に祈り続けていたそうです。


事情を聞いてわかったのですが、ここの現場でひき逃げ事故があり、どうもこの若い男性の恋人が死んだらしいのです。しかも、ひき逃げした車は、捜査網をかいくぐり逃げていたのです。この若い男性は恋人の死を悼み、毎日毎日夜になるとこの現場へ来て祈りを捧げていたようです。この男性の祈りによってかどうかはわかりませんが、犯人は自首をし事件としては一件落着したのです。しかしその後も若い男性は夜になるとここへ来てやはり数時間祈っていたそうです。犯人が捕まろうがその恋人が突然いなくなってしまったのですからやりきれなかったと思います。というわけで私は「千の風になって」の歌を聴くと反射的に、このときの若い男性の祈りを思い出すのです。まさしくこの詩は死んだ彼女がこの男性に歌っているかのように聞こえるのです。


「千の風になって」   私のお墓の前で泣かないでください   そこに私はいません  眠ってなんかいません  千の風になって  千の風になって  あの大きな空を   吹きわたっています 秋には光になって 畑にふりそそぐ  冬はダイヤのように  きらめく雪になる 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で泣かないでください ・・・・・・・・・・・・・・・・   


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【2007/01/09 21:38】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
東京法経学院

東京法経学院の民事再生手続き申請の記事が新聞に出ていた。司法書士や私の本業である土地家屋調査士、不動産鑑定士などの資格試験にめっぽう強い資格専門受験校であったが、バブル期の不動産投資に失敗していたらしい。再生を願うものである。


しかし、私にとって東京法経学院はとてつもなく大きな恩人である。測量会社にいたときから勉強し何年もかかって取得したのだが、この学院の合宿はすごかった。朝から夜中まで勉強、勉強で5日間という感じだ。泊まったところには全国から受験生が集まっており、彼らとのミーティングも参考になった。中には工務店を倒産させてしまった元社長もおり、彼の背水の陣で臨む姿勢には心を打たれた。


この合宿も良かったが、もう一つ通信添削も大きかった。毎年毎年試験に落ちていたが、根性のない私には珍しく、毎週来る通信添削には懲りずに出し続けていた。その甲斐あってか徐々に点数を上げ始めていた。通信添削のおもしろさは、赤いペンで書かれてくる「寸評」にあった。合格する年のラスト付近の添削では、「基本が良くできています。」と書かれていた。とてもうれしい寸評だった。この寸評で自信を深めますます勉強をしていった。この添削でいけると確信したことを今でも覚えている。


この合宿や通信添削での成果が現れおかげさまで合格できたが、その後も測量専門学校や各地のセミナーで教えるとき、東京法経専門学校の参考書や問題集を使い、通信添削という地味なものをこつこつやるといいよとアドバイスもしてきた。


この資格試験NO1の学校が民事再生だという。世の流れだ。だが私にとっては、大きな恩人であることには変わりはないが。


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【2007/01/06 10:19】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp
東京駅

新年明けましておめでとうございます。本年もゆっくりとした日常の旅を書きつづりますので、よろしくお願いいたします。


ところで、お正月の新聞で見た記事ですが、「東京駅改築」というものがありました。東京駅は大正3年に偉大な建築家・辰野金吾博士の設計によってできた日本を代表する建築物ですが、現在の状況は、大東亜戦争時の空爆によってかなり破壊され、かつての秀麗な三階建ては部分的に残存しているだけになっています。この東京駅再築の話はこれまでも何度もあったのですが、それはあくまで超高層ビルにして、どちらかというと「有効利用」による利回り重視といった姿勢でした。しかしこの案は歴史的建造物をまったく理解しない暴挙だとして否決されてきた経緯があります。


今回正式に決定したものは、辰野金吾博士が設計した当時の原型に近い案であり、個人的にはとてもうれしい決定です。この大正時代に作られたレンガ造りの東京駅は、東京のすべてが廃墟となった関東大震災にもびくともせず、戦争時の空爆にも部分的に壊れただけという、美しさだけでなく、構造的にもすぐれた建造物なのです。今から100年も前にこんなすごい建物を建て現在に至るまで、残っていることに感動します。


また、今でこそ開業していませんが、日本で最初のステーションホテルを開業させ、多くの文化人が宿泊するステータスをももっていました。また、皇室専用のプラットホームがあり、正面玄関は花崗岩と漆喰が用いられています。設計者辰野金吾は、この東京駅に一つの理想を追い求めたそうです。「東京駅の赤と白の見事なコントラストの中に、日本という力強い国家像を追い求めた」


大正三年の開業時、大隈重信総理大臣は次のような祝辞を述べています。「この駅はあたかも光線を放射する太陽のようなものだ。あらゆるものの中心となって、光を四方八方に放ってほしい。」私は、超高層ビルによるのでなく、辰野金吾博士の思いが込められた原型に復活することを待ち望んでいます。


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【2007/01/04 16:07】 | 日記 | Author:斎藤良一 E-mail:info@estate-consultant.jp