良ちんの『日常を旅するブログ』
土地家屋調査士 斎藤良一が、旅や映画、読書等日常をつれづれなるままに書き綴るブログ
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爆弾・ミサイルそして戦艦
先日の「爆弾低気圧」はすさまじかったな。
仙台の新川というところでは、秒速42mを超える強い風だった。
まさしく爆弾のようなものだった。ということで今日は爆弾やらミサイルやらといった物騒なことを書いていくことにしよう。

さて、来週にも北朝鮮という名のならず者国家が、またしてもミサイルを沖縄あるいはフィリピン方面へぶち込むという。
さすがに自衛隊も臨戦態勢である。パトリオット(PAC3)やイージス艦に搭載されている迎撃ミサイル(SM3)が準備を開始した。
ところがさすがは平和憲法を要する日本は一味違う。1000名にも及ぶ日本人が拉致され、なおかつミサイルで脅かされているのに、武力攻撃はできないのである。
憲法9条によって武力攻撃が制限されているから何もできないのである。ぶざまな国である。
逆に食糧が足りないと駄々をこねられると、援助してしまうというお人よしである。
日本の最終兵器は「話し合い」だという笑えない現実がある。

このことが次々と日本に災難を与えている。
弱い日本が災難を招いているというべきか。
韓国は竹島を完全にとってしまったが、次は対馬だという。「対馬は韓国領土だ」という決議もしたらしい。
そしてシナ様も尖閣を間もなく奪い取るだろう。
なぜなら尖閣のあたりは膨大な石油が取れるから絶対に日本から奪うと予想する。
シナ様は今から20年ほど前、「中華人民共和国領海法」という国内法を作った。
その中で、尖閣列島を含む沖縄をはじめ、インドネシアやフィリピン、ベトナムなどが領有する広大な諸島すべてがシナ様の領土だとする恐るべき法律を作った。
すべてはシナ様の勝手で国境というものが決まるらしい。
さすがは世界の暴力団・シナ様である。
それを実現すべく現在、空母を三隻建造中である。日本から巻き上げたお金で。

日本の周りにはよりによって、北朝鮮やシナ様といったならず者国家がひしめいており、弱い国では生きていけない。
したがってスイスのように、イスラエルのように、強烈な軍事力を持って対抗する以外に道はないのである。

今から65年前、我々の先人たちは、アジア解放と自存自営のためにアジア人を奴隷にしていた白人たちと戦った。
日本は敗れたとはいえ、その結果アジアから植民地が消えた。まさしく先人たちの戦いのおかげである。
肝心なことは兵器の優劣や、武器の量だけではない。その戦いに道義があるのか否かである。
間違いなく我々の先祖たちの戦いには道義があり大義があった。
とりわけ沖縄戦に向けて天一号作戦という名の水上特攻作戦を行った戦艦大和の戦いは負けたとはいえ壮烈であった。
日本を守ろうとしての究極の戦いだった。
轟沈後、連合艦隊司令長官から大和乗組員に対しての感謝の詞が発せられた。
「・・・・・大和轟沈して巨体四裂す 水深430m 乗員三〇〇〇名を数え 還れるもの僅かに二百数十名 至烈の闘魂
至高の錬度、天下に恥じざる最後なり」

先輩たちの魂をしっかりと受け継いでいきましょう。戦艦大和が轟沈した4月7日に記す。


戦艦大和 戦艦大和の雄姿

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二つの山と二人の偉人
先日、ここでも以前紹介したことがある預言者というか、津波研究家の飯沼さんから電話があり、今度5月に又新しい歴史的な津波の本を出すのでよろしくという電話があった。
その本は270ページにもなるすごそうな本である。
特に飯沼さんが言ってたのは、岩沼の千貫神社に古くから伝わる言い伝えの信ぴょう性であった。
あの伝説は869年の貞観津波のことではなく、西暦100年ごろにあった今回よりもはるかにでかい巨大津波の時の言い伝えであると断言しているのだ。
ということで今日はこれらのことから話を書いていくことにしよう。

昨夜は私が主催している「新月の会」という飲み会を行った。この会は若い方々に「日本が大好きになる話をする会」であり毎回私のつたない話をしている。
これまでも、日本刀の話、漆塗りの話、日本酒の話など文化的なこともするが、偉人の話が多い。
山縣有朋、西郷隆盛、楠正成、台湾を救った根本博陸軍中将、日露戦争の名参謀秋山真之、柴五郎陸軍中将・・・

昨日は何を話そうか迷っていたが、やはり偉人の話をすることにした。
一人は、すでに故人となられた東北電力の元副社長の平井弥之助氏である。
平井氏は女川原発を作る際に、三陸には大きな津波が来ることを予期して、断固として「高さ15m以上」を主張して実現した人である。
当初社内的にはコスト面などからもっと低く作る予定でいたが平井氏の強硬な主張に根負けして現在の高さ15mになった。
なぜ平井氏は強硬に主張したのか。実は平井氏の実家は岩沼の千貫地方にあった。ここには千貫神社があり驚くべき伝説があったのだ。
その伝説とは海から実に4km以上離れている千貫神社の近くまで津波が来て山の松に船が引っ掛かったという伝説である。
この千貫神社は現在こそ山のふもとにあるが、古くは山の中腹にあったといわれている。
この千貫山は標高190mもあり、中腹といえども相当ある。津波はどの高さまで来たかはわかっていないがそれにしてもこの山の松に船が引っ掛かったというのも尋常でない。

千貫神社 千貫神社

千貫山 千貫山から下を見る

この千貫神社に伝わる恐るべき伝説を平井氏は聞いていたのだ。だから社内の反対を押し切り、「三陸には必ず巨大な津波が来る」という確信から原発を高い位置にしたのだ。
この平井氏という偉人のおかげで宮城県は助かった。なんという偉人であろうか。

新月の会ではこの平井氏のことと神社に伝わる伝説もばかにすることなく大事にしていこうなと伝えました。

もう一つの偉人伝は、大東亜戦争において最大の激戦となった硫黄島を戦った日本陸軍の栗林中将の話をした。
こちらも小高い山である、擂鉢山という象徴的な山が存在してある。
なぜ昨日3月27日に話したかというと、硫黄島の激戦の最後の総攻撃が行われたのが、おとといつまり3月26日だからだ。
日本軍守備隊、2万、それに対してアメリカ軍は6万を超えた。それだけでなく空母、戦艦、巡洋艦などおびただしい数の艦船、数千機の航空機による激しい空爆、アメリカの圧倒的な物量による彼我の差は歴然としていた。
それでも栗林中将による素晴らしい作戦によってアメリカにも多くの犠牲をしいていたのだ。
作戦だけではなく、日本陸軍の敢闘精神も素晴らしかった。
1、我らは全力で本島を守り抜く


5、最後の一人になってもゲリラとなって敵を悩ます
彼らの思いは、自分の犠牲によって日本を守りたいという願いに貫かれていたのだ。
戦力から言えばたったの三日で落ちるはずだった硫黄島の戦いが栗林中将をはじめとする日本陸軍の兵士たちの敢闘によって40日以上を持ちこたえていた。
しかし最後の日は刻一刻と近づいていた。
二万名いた日本陸軍のうち残りはわずかとなっていた。
3月26日早朝、ついに栗林中将をはじめとする400名による最後の総攻撃が行われ、そして全員玉砕となった。

出撃前に、栗林中将は大本営に訣別の電報を打ったのだ。

国のため 重きつとめを 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき

そして硫黄島の象徴的な山である「擂鉢山」にも星条旗が翻ったのだ。
意外にもこの擂鉢山は岩沼の千貫山より低い170mだという。

硫黄島 硫黄島の擂鉢山


一方この大東亜戦争でも最大級の激戦であった硫黄島の戦いを記憶にとどめて亡くなった兵士たちの慰霊をしようと毎年アメリカでは3月26日の日に大規模な慰霊祭を行いテレビでも放映されている。

しかし、一方日本では、遺された13000名の遺骨を硫黄島にそのままほったらかしにし、国会でも慰霊をするどころか、増税や選挙のことしか頭になく、さらにはテレビにおいては、少しは報道するのかと思いきや、トップニュースが、AKB48の前田敦子が卒業しましたとくるのだ。
すさまじいことである。

新月の会では、これら二人の偉人の話を中心に展開したが、やはり神社に伝わる伝説などをもっと大事にすべしということと先祖たちへの感謝の念を尽くすことがより重要なのだと締めくくった次第でした。

*硫黄島で戦い散華された兵士たちに感謝の念を抱いて、3月28日に記す。

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岸辺のアルバム
つなみ 海に向かい手を合わせる方々

3.11一周忌のテレビ番組は大震災時の映像を繰り返し流していた。何度見ても涙がこぼれ落ちてしまう。
ところが家が流されていくシーンを見ていたら、不思議とあのドラマを思い出してしまうのだ。
あのドラマとは山田太一の傑作「岸辺のアルバム」で家が流されてしまうシーンである。

私はあまりドラマは見ないのだが、いつも家内とのチャンネル争いに敗れてしぶしぶ見ざるを得ない。
しかしこのドラマは不思議とみてしまった。すこし不気味であり同時に切ないドラマではあったが。
おおよそのストーリーはこうである。
都会で暮らす一家はやっと念願のマイホームを購入し、はたから見ても平和で理想的な家族に見える。
しかし、内実は深刻な問題を家族全員がはらんでおり、徐々に徐々に家庭の崩壊に向かって時は過ぎていくのだ。
そしてついに家族崩壊が決定的となったとき、よりによって家族の絆の象徴でもあったマイホームが、恐るべき水害によって流されるのだ。
家族も家もすべてをなくしてしまった主人公の旦那は、茫然自失の中、流された家のがれきの中から一冊のアルバムをみつけるのだった。

そこにはかつての、楽しくかつ、平和な家族の在りし日の姿が映し出されていた。・・・・・

すべてが流されていく、すなわち諸行無常の恐ろしさがあのドラマにはあり、状況は違えども震災後の家族にも共通項はあるように感ずる。


ところで今日は春分の日。戦前でいえば春季皇霊祭である。
すなわちお彼岸である。暑さ寒さも彼岸まで。これから東北も春に向かっていくのだ。
この彼岸とはどういうことであろうか。
あの世と現世との境界線において、生きている者が、あの世すなわち彼岸にいる死者・先祖のことを思い出し、その霊を
なぐさめるということだろう。

偶然かもしれないけど今年の宮中の歌会始のお題は「岸」でした。
そこで皇后陛下は素晴らしい歌を詠まれました。

津波来し 時の岸辺は 如何なりしと
見下ろす海は 青く静まる

もう一つは

帰り来るを 立ちて待てるに 季(とき)のなく
岸とふ文字を 歳時記に見ず

(津波にさらわれた愛する人の帰りを、ひたすら岸に立って待っているのに、その時は来ない。)

うう、な、なんとすごい歌なんだ。

これを読むとどうしても「岸壁の母」を思い出してしまう。

母は来ました 今日も来た
この岸壁に  今日も来た
届かぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて

無理だろうなあとわかっていても、もしかしてと息子の帰りを待ちわびて岸壁に毎日来るお母さん。
今回の震災でも同じような光景を目にすることがありました。
わかっていても納得できない、不条理な死によって、あの世、すなわち彼岸に行ったからって簡単には了解でき
ない。
この「あの世」と「この世」の境界線こそが、象徴的に「岸壁」という意味なのではないのか。
岸壁で彼岸に行ってしまった愛する人を思う気持ちこそが、本当の絆というものなんだろうね。

*お彼岸の日に、岸辺のアルバムと岸壁の母を思い出してこれを記す。
つなみ3

菊池神社と天皇陛下
先日若い友人である菊池君と飲んだのだが、そこで彼は自分の祖先である菊池一族の話を始めた。
するとルーツは熊本にある菊池市の菊池一族であるという。
その町の中心であった菊池城跡地には、尊王で名高い菊池一族の霊を祭る菊池神社があるという。

菊池神社 菊池神社の参道

菊池一族で有名な武将はたくさんいるがとりわけ名高いのが、元寇で活躍した菊池武房。それと後醍醐天皇を最後まで守り通そうと戦った菊池武時、武重、武光など26柱がこの神社に祭られているのだという。
南北朝時代、この後醍醐天皇を守り通そうとした武将では楠木正成という究極の忠君がいたが、この楠木正成側の九州地区の部隊こそが菊池一族であった。

ところがその飲み会の一か月後、私の友人で神職をやっているN氏が、ある本を編集したので買ってほしいという連絡があった。
その本とは、「特攻魂のままに」という本で、靖国神社でかつて宮司をされていた大野俊康氏の講演などをまとめた本であった。
N氏は、以前靖国神社で大野宮司の秘書的な役割の神職をされていたので、その大野氏の偉業をどうしてもまとめたくて今回の本の出版になったらしい。
本を読み進めていくうちに驚くべき記載があった。
菊池神社に関係する特攻隊員のことが記載してあったからだ。
その方とは熊本県出身の松尾敬宇中佐である。彼は菊池一族の流れをくむ家柄であり、まさしく忠義と尊王思想をDNAにもつ素晴らしい軍人だった。
大東亜戦争においては特殊潜航艇に乗り込み、シドニー湾を急襲。敵の軍艦を一隻撃沈することに成功する。
しかし敵の猛攻により一斉射撃を受け戦死するのだった。
三島由紀夫氏は次のように松尾氏の戦死を悼むのだった。

「敵の一斉射撃を浴びようとしたときに、月の明るい夜のことであったが、ハッチの扉を開けて日本刀を持った将校がそこから現れ、日本刀を振りかざしたまま身に数弾を浴びて戦死したという話が語り伝えられているが、このような場合にその行動の形の美しさ、月の光、ロマンティックな情景、悲壮感、それと行動様式自体の内面的な美しさが完全に一致する。しかしこのような一致した美は人の一生に一度であることはおろか、歴史の上にもそう何度となくあらわれるものではない。」

この忠勇武烈に深く感動したのはなんと敵の大将である、オーストラリア海軍のグールド少将であった。
なんと、艇内から引き揚げた4人の日本海軍の勇士を讃えて海軍葬までやって弔ってくれたのだった。

戦後もオーストラリア連邦戦争記念館の前庭に、この松尾艇を置き展示してくれている。
そこには「この勇気を見よ。」との説明文を特筆大書し、参観者に大きな感銘を与えているという。

それにしても菊池一族の忠義心というものは素晴らしいとは思うが、日本人であればだれでも尊王の気持ちは強いのではあるまいか、もちろん変わっているあの左巻きの方々を除けばだが。

この日本の歴史を縦に貫いていて、しかも日本人から尊崇を一身に浴びている天皇陛下とはどういうものなのだろうか。

今回の震災におかれても、御病気であるにもかかわらず、被災地を巡り、被災者を激励する姿は素晴らしいの一言だった。
先日の被災から一年の追悼式におかれても心のこもったお言葉を発せられ日本人に勇気を与えてくださった。

「被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくよう、たゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心がけをはぐくみ、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。・・・・・」

やはり半端じゃない慈愛のこもったお言葉であったと思う。
あの時、私は家内と車で移動中でラジオを聴いていた。野田総理のスピーチの時は、二人してブーイングを浴びせたが、天皇陛下のお言葉が始まるとなぜか自然と涙がこぼれてきた。
普段の祈りの姿勢あるいは国民への思いの深さが全く違うからだろう。

日本の皇室は125代にわたって続く万世一系の皇統である。
この素晴らしい皇統があるから我々国民は安心した暮らしができるわけであり、どんなに悲惨な災害があっても戦争に負けても、必ず復興することができるのである。
この日本の宝である皇室のありがたみを感じつつ力を合わせて生きていくことにいたしましょう。

貴重なヒントを与えてくれた若い友人・菊池君に感謝をしつつ。

私の本業のホームページ 不動産法コンサル・サロン http:www.estate-consultant.jp
パンダの背後でうごめく者たち
明日で震災から一年の3月10日である。
今日は仮設住宅での相談会に行ってきた。家族を4人も無くした方は、この1年わけわからない状態で、ただひたすら生きてきただけだ。とボソッと語っていた。その言葉の重みに打ちひしがれた。
被災者たちは懸命に生きているというのに、政府民主党は宮城県が求めていた復興予算を査定し半分に削り、そして最終回答はさらにその半分、すなわち必要なものの4分の1に決定した。
村井知事の怒りは半端ではない。
平野復興大臣の地元、岩手県はほぼ満額なのに、それ以外の県にはこのむごい仕打ちである。

こんな大変な時なのに、一人「パンダ」誘致で舞い上がっているひとがいる。
人口100万人の、ある政令指定都市の女性市長である。
12月にはシナ様がパンダを贈るかもしれないという情報に「お正月を前に素晴らしいお年玉をいただいたようだ。」とはしゃいでいる。
パンダ外交がシナ様お得意の謀略戦であるということも気づかずに。

シナ様の戦略はこうである。
・子供に人気のパンダを送り込んで「反中国」の風潮を「親中国」に変えてしまう。
・パンダ人気にあやかり、その都市に中国領事館を作ってしまう。
・この領事館を拠点として、その県のあらゆる官庁、学校、商工会議所、企業などにシナ様との結びつきを強める戦略を構築する。
・いよいよ中華街をその町の一角に作り上げ、さらには中国人を大量に移民として誘致する。
・外国人参政権を勝ち取り、彼ら大量移民たちが政治・経済を支配する。

すでにその都市には領事館の候補地も定まっているとの情報もある。
動いているのはレンホウとかいう中国人女、自民党の中の究極の売国奴・Kなどである。

ということで今日はシナ様の謀略戦について書いていくことにしよう。
1970年ごろの話である。
ちょうど日中国交回復で日本はシナ様ブームで沸き返っていた頃である。
東南アジアを歴訪していた中央学院大学の西内教授は偶然恐るべき秘密文書を手に入れてしまう。
その文書こそ「日本解放第二期工作要綱」というものである。
この40年の日中間の歴史を顧みるとすべてがこの文書どおりの展開を見せていることがわかる。
この文書の最終目標が明確である。
「日本保有の国力すべてを我が党(中国共産党)の支配下に置く。」
そして「戦犯の首魁・天皇を処刑する。」

この2つの目的を達成するためにあらゆる謀略を使えとこの文書は指示しているのである。
例えば、「群衆掌握の心理戦」
全日本人に中国への好感、親近感を抱かせるという群衆掌握の心理戦を展開せよ。このことによって中国への警戒心を無意識のうちに捨て去らせることができる。

あるいは「三段階の平和解放」
なおすべての項目は、初期においては純然たる奉仕に徹する形態をとり、警戒心を抱かせないために、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織工作を行ってはならない。

まさしくパンダ外交はその第一段階であり日本人の警戒心を解くための謀略戦だったのである。

謀略戦といえば、その筆頭に挙げられるのが「南京大虐殺」という壮大なウソがある。
これはもともとは中国・国民党が仕組んだ謀略である。
戦争に勝てないと見るや、世界に「日本軍の残虐さ」を強調するというウソの宣伝戦である。
この時使われたのが、ダーディンやティンパーリーという外国人記者たちである。
彼らの正体は工作員だったのである。

第1期の工作である「日中国交」を完成させたあと、つぎにはシナ寄りのA新聞社に「南京大虐殺」の記事を書かせ大キャンペーンを敷く。
次に日本の歴史教科書に介入し、力づくで「南京大虐殺」を書かせることに成功する。

現実はどうだったんだろうか。
南京戦の総大将は松井石根、彼は戦闘の始まる前に次のような訓辞までしていた。
「一般外国人、ならびに中国民衆を紛争に巻き込まないように常に留意して外国出先機関とも密接なる連絡を保持するように、又いかなる場合でも一般民衆への暴力や略奪行為は厳罰に処す。」

また日本陸軍というのは、弾薬が不足しておりどんな戦闘でも使用には厳格でありいちいち次のように伝令を出させていた。
「使用弾薬〇発、残り弾薬〇発」
こういった厳格な日本陸軍が無駄に一般民衆30万人を大虐殺することなどあるわけないでしょうが。

一方中国軍はといえば、総大将は唐生智、なんと日本軍の降伏勧告を無視し大将のみが真っ先に逃げるという卑怯者だった。
すると総崩れになる中国軍は、軍服を脱ぎ「便衣兵」となり、さらには中国人の家屋を焼き払い、中国民衆から金目の物を盗みながら逃走、さらには水道や変電所を破壊し尽くすという傍若無人のやりたい放題。
結局中国民衆に暴力、盗み、レイプしていたのが当の中国軍だったという顛末。
この犯罪を日本軍に濡れ衣を着せ歴史的事実にすり替えようとしたのだ。

毛沢東は言う。「嘘も100回言い続けると真実になる。」

濡れ衣を着せられた日本陸軍の兵士の遺書がある。彼は南京大虐殺を行ったとされ処刑された向井少尉である。
「我は天地神明に誓い、捕虜住民を殺害せることは全然なし。南京虐殺などの罪は罪は全然ありません。
ただ死は天明なりと思ひ、日本男子として立派に中国の土になります。・・・・・
・・・・・・・・・・・
中国の奮闘を祈る、日本の敢闘を祈る、天皇陛下万歳、日本万歳、中国万歳、死して護国の鬼となります。」

名古屋の河村市長もついに真実を語り始めた。彼の父親は南京戦に参加してむしろ中国民衆からは解放軍としてとても喜ばれたことを語っていたという。
しかもその後、その中国人一家とは交流まであったことを話していた。
大虐殺をやっていたら交流などあるわけない。
私の父親も南京ではないですが近くの戦争に参加していました。
やはり日本の憲兵隊が厳しくて、略奪や一般民衆への暴力はあり得ないと話していました。

すべては謀略戦、宣伝戦だったのです。
日本は戦前も戦後も、これら謀略戦に負け続けたともいえます。
これら謀略戦の最前線にパンダ外交があることを知る必要があるかもしれませんね。

南京大虐殺 中国民衆に歓呼される日本陸軍

*がんばった日本陸軍の栄誉をたたえて「陸軍記念日」の今日、3月10日に記す。


プロフィール

Author:斎藤良一
E-mail:info@estate-consultant.



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